京都・東山に建つ智積院。全国に末寺約3,000を擁する真言宗智山派の総本山で、長谷川等伯一門による金碧障壁画群は広く知られています。
長谷川等伯と息子・久蔵が描いた国宝《楓図》《桜図》をはじめとした桃山時代の美、さらに近代京都画壇の作品などさまざまな名宝を一堂に公開する展覧会が、サントリー美術館で開催中です。
サントリー美術館「京都・智積院の名宝」会場入口
展覧会は第1章「空海から智積院へ」から。智積院の歴史を辿ると、弘法大師空海に至ります。
空海は平安時代9世紀初めに、紀伊国(現在の和歌山県)で真言密教の根本道場となる高野山を開創。後に荒廃した高野山を再興し、高野山中興の祖といわれるのが興教大師覚鑁で、智積院はその法統を受け継ぎ、紀伊国根来寺山内で室町時代中期に創建。秀吉政権の下で一時衰退するも、江戸時代初期に現在の地で再興しました。
(手前)《智積院靈寶并袈裟世具目録(上)》専戒 江戸時代 宝永2年(1705)[全期間展示] / (奥左から)《額字原書「密厳堂」》運敞 江戸時代 寛文12年(1672) / 京都府指定有形文化財《興教大師像》鎌倉時代 13世紀 / 《弘法大師像》室町時代 文安元年(1444)[展示期間:すべて 11/30~12/26]
第1章では智積院中興の祖師たちにまつわる貴重な品々によって、智積院の歴史を概観していきます。
家康から京都東山の豊国神社境内の坊舎と土地を寄進され、智積院を再興したのが玄宥。智積院の住職である「能化」の初代です。
運敞は江戸時代の僧で、第7世能化。徳川家綱の帰依を得て寺域を拡げ、智山派の学風の樹立、高揚に寄与しました。
(左から)《運敞僧正像》運敞 賛 江戸時代 天和2年(1682) / 《玄宥僧正像》運敞 賛 江戸時代 元禄3年(1690)[展示期間:ともに 11/30~12/26]
展示室を進んだ第2章「桃山絵画の精華 長谷川派の障壁画」に、お目当ての金碧障壁画群が登場します。
国宝《桜図》は、力強い桜の大木と、桜花びらの大胆な表現が見どころ。長谷川等伯の子・久蔵が25歳の時の作品とされますが、久蔵はこの翌年に亡くなりました。
息子の急死で意欲を失いかけた等伯が、自らを鼓舞して描きあげたといわれているのが国宝《楓図》。枝を広げた楓の下には、さまざまな草花が見て取れます。
(左から)国宝《楓図》長谷川等伯 桃山時代 16世紀 / 国宝《桜図》長谷川久蔵 桃山時代 16世紀[ともに 全期間展示]
もともとこれらの金碧障壁画は、天正19年(1591)に3歳で夭折した秀吉の息子・鶴松(棄丸)の菩提を弔うために建てられた祥雲禅寺の堂内に描かれたものです。後の徳川政権で、智積院は祥雲禅寺の伽藍とともに障壁画群を拝領し、今日まで大切に守り伝えてきました。
《楓図》《桜図》《松に秋草図》(いずれも国宝)が、一挙同時に展示されるのは、寺外では初の試み。また等伯の傑作とされる《松に黄蜀葵図》が寺外で公開されるのも初めてです。
(左から)国宝《雪松図》長谷川派 桃山時代 16世紀 / 国宝《松に黄蜀葵図》長谷川等伯 桃山時代 16世紀[ともに 全期間展示]
第3章は「学山智山の仏教美術」。智積院は空海が伝えた真言教学の正統な学風を受け継いでいることから、「学山智山」とも呼ばれ、多くの学僧を輩出してきました。
学問を通して寺内外の学僧と繋がりを持ってきたことから、智積院に伝わる仏教美術の名宝は、真言宗に留まらず宗派を超えて幅広い分野のものがみられます。
国宝《金剛経》は、中国・南宋時代の書家、張即之の代表的な作品。堂々とした筆跡は、後世の日本の書にも多大な影響を与えました。
(左から)国宝《金剛経》張即之 南宋時代 宝祐元年(1253)[全期間展示(場面替)] / 《釈迦如来坐像》鎌倉時代 13世紀[全期間展示]
智積院に伝わるものでは、仏画にも良品が数多く見られます。
《千手観音二十八部衆像》に描かれている風神と雷神の姿は、俵屋宗達による国宝《風神雷神図屛風》に近い表現。
《十三仏図》は下から上に向かって仏が配列されており、いずれも右から、最下部が不動、釈迦、文殊。下から二番目が地蔵、普賢。三番目が弥勒、薬師、観音。四番目が阿弥陀、勢至。最上部が阿閦、大日、虚空蔵です。
(左から)《千手観音二十八部衆像》室町~桃山時代 16世紀 / 《十三仏図》室町時代 15世紀[展示期間:ともに 11/30~12/26]
第4章は「東アジアの名品集う寺」。智積院は江戸幕府と密接な関係があったことから、在俗の有力者からも様々な作品が寄進されました。
この章では、智積院に集った東アジア・中国美術から日本近世絵画の名品まで、さまざまな寺宝の競演が見られます。
《漁夫図》は、中国では古くから愛好された画題。《花鳥図》は華やかな画面構成と豪放さが見ものです。
(手前)《七宝双鳳牡丹文洗》明時代 16~17世紀初頭[全期間展示] / (奥左から)《花鳥図》明時代 16世紀[展示期間:11/30~12/26] / 《漁夫図》薛仁 明時代 16世紀[展示期間:11/30~12/26]
会場では吹き抜け部で展示されている第5章「智積院の名宝が結んだ美」が、構成としては最後です。
京都画壇で活躍した土田麦僊(1887~1936)は16歳で智積院に入りました。この時代に長谷川派から学んだ成果は、後の画業にも活かされています。
同じく京都画壇の大家である堂本印象は、「婦女喫茶図」「松桜柳の図」を67歳の時に制作。智積院宸殿の室中を美しく飾る襖絵です。
二人の作品も、通常は非公開。智積院ゆかりの工芸の名品とともに、お楽しみいただけます。
(手前)《輪宝羯磨文戒体箱》江戸時代 17世紀[展示期間:11/30~12/26] / (奥)《婦女喫茶図》堂本印象 昭和33年(1958)[全期間展示]
第5章「智積院の名宝が結んだ美」展示風景
京都・東山の、七条通りのゆるやかな登り坂を突き当りまで進むと、智積院。京都国立博物館に近い事もあり、何度も訪れたことがありますが、美術館で見ると、お寺で見るのとはまた違った趣きが感じられます。
作品保護のため会期中に展示替えが行われますが、国宝6件は出ずっぱり。東京でまとまってみられる、絶好の機会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年11月29日 ]
※出品作品はすべて智積院蔵