真っ暗な夜の街に輝くガス灯の光など、光や影のうつろいを巧みに表現した浮世絵「光線画」。従来の浮世絵では一般的だった主版(輪郭線)を極力用いず、色の面で人物や自然を捉えた作品は評判を呼びました。
「光線画」を代表する浮世絵師、小林清親(1847~1915)をはじめ、スタイルを継承した井上安治(1864~89)、小倉柳村(生没年不明)という3名の作品を紹介する展覧会が、太田記念美術館ではじまりました。
太田記念美術館「闇と光 ― 清親・安治・柳村」会場
展覧会では三人の作品を順番に紹介。最初はもちろん「光線画」といえばこの人、小林清親からです。洋画や写真を学んだ後、明治9年から14年にかけて「光線画」を発表しました。
《今戸橋茶亭の月夜》は、隅田川の上空に輝く満月が、辺りを明るく照らしている場面。水面に映る橋や建物の影などの表現は、まるで水彩画のようです。
小林清親《今戸橋茶亭の月夜》明治10年(1877)頃 太田記念美術館
清親の光線画には、初摺と後摺で色の摺り方を大きく変更した「摺り違い」の作例がしばしば見受けられます。
現在の東京都江東区猿江2丁目を描いた《五本松雨月》では、闇と光の対比が和らいで、ドラマチックな雰囲気こそなくなったものの、何が描かれているか、はっきりと分かるようになりました。
(左から)小林清親《五本松雨月》明治13年(1880)個人蔵 / 小林清親《五本松雨月》明治13年(1880)頃 個人蔵
《川口善光寺雨晴》は、清親による光線画の中でも白眉といえる作品です。
夕暮れ時に雲が赤く染まるなか、雨が上がり、雲の間から青空が広がってきた模様を、光の変化を丁寧に観察しながら描写しています。
小林清親《川口善光寺雨晴》明治12年(1879)太田記念美術館
明治14年1月26日に、両国で大規模な火災が発生。清親は家を飛び出して火災の様子をスケッチし、版画作品に仕上げました。
作品には、荷物を持って逃げまどう人などを手前に配し、奥には上空にまで勢いよく燃え上がる炎が描かれています。
ちなみに、清親がスケッチをして家に戻ると、自宅も火事に巻き込まれて焼け落ちたいた、とも伝わります。
小林清親《明治十四年一月廿六日出火 浜町より写両国大火》明治14年(1881)太田記念美術館
続いて、清親の門人だった井上安治。清親の光線画を忠実に受け継いだ後、井上探景と画号を改めて他の浮世絵も描きましたが、数え26歳で亡くなりました。杉浦日向子の漫画『YASUJI東京』で知名度が上がりました。
《浅草橋夕景》は、数え17歳だった安治のデビュー作。清親の影響が強くあらわれています。
井上安治《浅草橋夕景》明治13年(1830)個人蔵
明治 14~22 年(1881~89)、安治は大判の4分の1サイズである「四つ切判」の作品を数多く制作しました。清親や安治自身による大判の光線画を下敷きにしたものや、一部に手を加えたものを数多く見られます。
四つに切断される前の大判の状態のものが展示されていますが、これらは希有な現存例といえます。
井上安治《堀切 / 吹上釣橋 / 靖国神社 / 龜井戸藤》明治14〜22年(1881〜89)個人蔵
最後は小倉柳村。清親に倣って光線画を制作していますが、経歴がまったく分かっていない、正体不明の謎の絵師。作品もわずか9点しか確認されていません。
《湯嶋之景》は柳村の代表作で、男性二人が静かに月を眺めているミステリアスな雰囲気が特徴です。
小倉柳村《湯嶋之景》明治13年(1880)11月5日 太田記念美術館
《向嶋八百松楼之景》は、隅田川に面した料亭「八百松」を描いた作品。水色だった空が除々に橙色に染まっていきます。川の水面や樹木の葉も、夕日が当たっているところは橙色になっているなど、細かな描写が見られます。
また、画面全体にニス引きという加工が施されており、西洋の油絵のように見える効果も狙っています。
小倉柳村《向嶋八百松楼之景》明治13年(1880)頃 太田記念美術館
光線画の流行はわずか6年ほどでしたが、これらは、大正や昭和期に活躍した川瀬巴水や吉田博らによる「新版画」の先駆けとしても位置付けられます。
11月23日(水・祝)までの前期と11月26日(土)からの後期で、全点が展示替えされます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年10月29日 ]