19世紀末のパリで活躍したナビ派の画家、フェリックス・ヴァロットン(1865-1925)。黒一色の木版画にこだわり、独特の視点による作品は、今もなお解けない謎のように人々を魅了し続けています。
世界有数のヴァロットン版画コレクションを誇る三菱一号館美術館で、約180点のコレクションを一挙に公開する展覧会が始まりました。
三菱一号館美術館「ヴァロットン ― 黒と白」会場入口
展覧会は、ほぼ時代順。ヴァロットンによる版画の歩みを辿っていきます。
ヴァロットンはスイス・ローザンヌ生まれ。16歳でパリに出てアカデミー・ジュリアンで学び、サロンに肖像画などを発表します。
画業の初期から人物の風刺的描写には優れた才能を発揮しており、文学者などをリトグラフで描いた作品にも、その一端が伺えます。
1891年に初めて木版画に着手。初期の木版画は、粗い線描によって、敬愛する人物やスイスの山並みなどを描きました。
(左から)《アレクサンドル・デュマ・フィス》(過去、現在あるいは未来の不滅の人々 I)1892年 / 《ジャン・リシュパン》(過去、現在あるいは未来の不滅の人々 Ⅱ)1892年
スイス出身のヴァロットンにとって、刺激にあふれたパリの街は、格好の題材になりました。
リアルなパリの描写を通じて、斬新な視点とフレーミング、モティーフの単純化、ダイナミックな人物表現など、独自の世界を構築。対象を黒い塊として捉える傾向も強くなります。
(左)〈息づく街パリ〉口絵 1894年
ヴァロットンの関心を引いたのは、群集や社会の暗部を露呈する事件です。
《祖国を讃える歌》では、熱狂する人から退屈そうな人まで群衆の肖像と心理を描き分け、当時のフランスで急速に高まっていた愛国主義を風刺しています。
(右上)《祖国を讃える歌》1893年
木版画が高く評価され、ヨーロッパ中で注目を集めるようになったヴァロットンは、1893年初めに、パリの若い前衛芸術家たちのグループ「ナビ派」に加入します。
ただ、ボナール、ヴュイヤール、ドニなど、ナビ派の仲間たちは、主に多色刷りのリトグラフ(石版画)を手掛けたのに対して、ヴァロットンは黒一色の木版画にこだわり、その独自性は先鋭化していきます。
(左)アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック『レスタンプ・オリジナル』第1年次のための表紙 1893年
1894年頃からは室内画が多くなります。黒と白だけの作品は、密室の緊張感を高め、謎めいた雰囲気をさらに強調していきます。
私生活では大画廊の娘と結婚。ブルジョア的な生活に足を踏み入れますが、この頃から、家庭での孤立や男女関係への疑念が作品に強く見られるようになります。
(左)《信頼する人》1895年
1898年に限定30部で刊行された連作〈アンティミテ〉は、ヴァロットン版画の最高峰といえる作品。10点からなる版画集で、男女の親密な関係を描いていますが、それぞれの意味深長なタイトルも含めて、不吉な場面を暗示しています。
《お金》では、画面の大部分を黒い面が覆い、闇と同化した男が女に寄り添います。女は男を無視するように、窓の外を眺めたまま。ヴァロットンのデザインセンスがいかんなく発揮されています。
《お金》(アンティミテ Ⅴ)1898年
会場の中ほどには、三菱一号館美術館の姉妹館であるトゥールーズ=ロートレック美術館(フランス・アルビ)の開館100周年を記念し、ロートレックとの特別関連展示もあります。
ヴァロットンとトゥールーズ゠ロートレック(1864-1901)は同じ時代を生きた画家で、ともに『ラ・ルヴュ・ブランシュ』誌で活動。多色刷りリトグラフと木版という違いこそあれ、斬新な構図とデザインで19世紀末の版画復興に寄与したという共通点があります。
(左から)《外出》1895年 / アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ディヴァン・ジャポネ》1893年 / 《見知らぬ人》1894年
結婚により経済状況が好転したヴァロットンは絵画の制作が増えますが、木版画も継続。特に第一次世界大戦の勃発で、再び木版画に力を注ぎます。
1917年には従軍画家として前線に同行。連作〈これが戦争だ!〉は6点組で、塹壕の兵士たちや敵軍の蛮行、一般市民への攻撃など、悲劇が題材になっています。
(左から)《有刺鉄線》(これが戦争だ! III)1916年 / 《闇の中で》 (これが戦争だ! IV)1916年
対象を極限まで単純化したヴァロットンの版画は、一見ではポップなイラストレーションと見まごうほどですが、よく見るとあちこちに闇の要素が。作品の中の時間は止まっていますが、将来的な不安が漂ってきます。
「不安」や「不吉」を突き付けられる、独特の作品世界を堪能してください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年10月28日 ]