狩野芳崖は、幕末から明治期の日本画家で「近代日本画の父」と呼ばれています。東京美術学校(現・東京藝術大学)の教官に任命されましたが、《悲母観音》を描き上げた4日後の1888年11月5日、同校の開学を待たずに死去しました。
芳崖には4人の高弟がいました。芳崖を顕彰した功労者といえる岡倉秋水、自らを「仏画師」と称した高屋肖哲、草花図を得意とする岡不崩、山水画の本多天城。
彼らは「芳崖四天王」と呼ばれ、一目置かれた存在でしたが、師亡き後は、画壇と距離を置き、表舞台から姿を消します。本展では、知られざるその姿に迫ります。
1章「狩野芳崖と狩野派の画家たち」では、芳崖のほか、木挽町狩野家でともに切磋琢磨した盟友・橋本雅邦など、狩野派の正統性を受け継ぎ、近代日本の黎明期を生き抜いた作品が紹介されます。
芳崖の力強い筆遣いが印象的な《壽老人》。中国宋代の道士で、七福神にも登場する人物です。明暗を描き込み立体感ある表現は、すでに西洋絵画を意識しているようにも見えます。
2章「芳崖四天王」では、芳崖から東京美術学校、日本美術院へと続く革新的な近代日本画の流れとは異なる水脈を形成した、岡倉たちを紹介。近代日本画の多様性を示します。
芳崖の教えを信奉し続けた4人は、積極的に芳崖の顕彰に努めました。顕彰に最も積極的に取り組んだ岡倉秋水の《慈母観音図》は、芳崖の絶筆《悲母観音》(10月10日から展示)の模写です。
3章では、没線・主彩による「朦朧体」を紹介。当初「朦朧体」は、輪郭がはっきりせず、表現の目的が不可解であると非難されていました。ここでは、朦朧体の改良に奮闘した横山大観や菱田春草などの作品が展示されています。
展覧会と同時に見てほしいのが、図録です。高屋肖哲《悲母観音図 模写》に書き込まれた、細部の色や作画上の注意点は必見。弟子が亡き師の作品から学ぼうする意欲を感じ取ることができます。
前後期で展示替えがあります。
[ 取材・撮影・文:静居絵里菜 / 2018年9月14日 ] |  | 狩野芳崖と四天王
野地耕一郎(編集),平林彰(編集),椎野晃史(編集) 求龍堂 ¥ 2,700 |