漆で絵を描き、金粉や銀粉を蒔きつけて文様をあらわす「蒔絵」。日本の漆器における代表的な加飾技法のひとつで、蒔絵の漆器は平安時代から現代まで数多くつくられています。
MOA美術館、三井記念美術館、徳川美術館の3館が共同で開催し、蒔絵の全貌に迫る本展。三井記念美術館では、国宝7件、重文32件を含む計127件が展示されています。
三井記念美術館「大蒔絵展-漆と金の千年物語」会場
会場での展示順は異なりますが、展覧会の構成としては年代順の8章構成です。
第1章は「源氏物語絵巻と王朝の美」。平安時代には宮廷を中心とした貴族文化が爛熟し、和様の美の規範が生まれました。
小野道風、藤原佐理、藤原行成の三蹟の時代には、和様の書が完成。豪華な料紙装飾による冊子や巻物も作られました。
重要美術品《石山切》藤原定信筆 平安時代(12世紀)MOA美術館[全期間展示]
第2章は「神々と仏の荘厳」。蒔絵の調度のなかには、神社の創建や造替遷座、天皇即位などの際に奉納され、御神宝として伝わったものがあります。
一方、仏教においては貴重な経典を納める経箱や仏具類を納める箱などが蒔絵で装飾されました。
国宝《澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃》は平安時代後期の作で、蒔絵技法を駆使した唐櫃として名高い逸品です。
国宝《澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃》平安時代(12世紀)和歌山・高野山金剛峯寺[全期間展示]
第3章は「鎌倉の手箱」。鎌倉時代には蒔絵粉を造る技術が向上、研出蒔絵、平蒔絵、高蒔絵の基本的な三技法が完成しました。この頃の蒔絵には、大型で内容品が付属する手箱の名品が数多く遺されています。
鎌倉時代の蒔絵の特徴のひとつに、和歌や漢詩にちなんだ歌絵の意匠があります。重要文化財《長生殿蒔絵手箱》も、慶賀の詩を意匠にとり入れています。
重要文化財《長生殿蒔絵手箱》鎌倉時代(14世紀)徳川美術館[展示期間:10/1~10/23]
第4章は「東山文化 ― 蒔絵と文学意匠」。室町時代の蒔絵には、『古今和歌集』『千載和歌集』などの和歌やその注釈書、説話を題材にした文学意匠が多く見られます。
この時代には、蒔絵師の家系である幸阿弥家と五十嵐家が登場しました。幸阿弥家は代々にわたって室町幕府の蒔絵師職を継承。五十嵐家は近世初頭には京で活躍し、子孫は加賀蒔絵の基礎を築きました。
重要文化財《砧蒔絵硯箱》室町時代(15世紀)東京国立博物館[展示期間:10/1~10/30]
第5章は「桃山期の蒔絵 ― 黄金と南蛮」。秀吉が天下統一を成し遂げると、各地で城郭や寺社、邸宅などが建てられ、その空間を彩るために大量の蒔絵が求められました。そのため、複雑な工程を簡略化した高台寺蒔絵が流行します、
またこの時代には、西洋から来日したキリスト教宣教師や商人たちが蒔絵に魅了され、祭礼具や西洋式家具など輸出向けの南蛮漆器がつくられます。
《IHS葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱》は、キリストの肉体を象徴する聖餅(パン=ウェハース)を入れる、キリスト教の祭儀具。IHSの文字、花クルス、三本の釘の周囲を荊の冠と光芒で囲んだイエズス会の紋章が、蓋表に配されています。
重要文化財《IHS葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱》桃山時代(16世紀)神奈川・東慶寺[全期間展示]
第6章は「江戸蒔絵の諸相」。江戸時代になると、それまでの蒔絵の意匠や技法が集約され、蒔絵の世界はさらに磨き上げられていきます。
国宝《初音蒔絵調度》は、三代将軍徳川家光の長女・千代姫の婚礼調度。『源氏物語』「初音」の「年月をまつにひかれてふる人に 今日鶯の初音きかせよ」の和歌をデザインに取り入れています。
幸阿弥家や、古満家、梶川家、五十嵐家などが室町時代以来の意匠や技術の伝統を継承する一方で、本阿弥光悦、尾形光琳、小川破笠など、個性的な活動をする作者も現れました。
国宝《初音蒔絵文台・硯箱》幸阿弥長重作 江戸時代 寛永16年(1639)徳川美術館[展示期間:10/1~10/23]
第7章は「近代の蒔絵 ― 伝統様式」。明治期に入ると、漆工芸の世界も時代に適応した新たな技法や意匠へと進んで行きます。美術工芸作家の保護と制作奨励を目的に定められた「帝室技芸員」の制度は、伝統的な工芸の保護・発展に繋がりました。
白山松哉(1853〜1923)も帝室技芸員です。《蒔絵八角菓子器》は、蓋甲に螺鈿と切金で花唐草文をあらわしているほか、各段ごとに異なった表情が見られます。
《蒔絵八角菓子器》白山松哉作 明治44年(1911)MOA美術館[全期間展示]
第8章「現代の蒔絵 ― 人間国宝」
昭和25年(1950)の文化財保護法の制定にともない「重要無形文化財(人間国宝)」が登場。昭和30年(1955)には人間国宝を中心に社団法人日本工芸会が設立され、日本伝統工芸展が開かれるようになりました。
松田権六(1896〜1986)は、漆芸分野で初の人間国宝です。7歳から蒔絵の修行をはじめ、母校の東京美術学校では教授として多くの後継者の育成にも尽力しました。
《赤とんぼ蒔絵箱》松田権六作 昭和44年(1969)京都国立近代美術館[全期間展示]
共同で開催する3館(MOA美術館、三井記念美術館、徳川美術館)はもとより、それ以外のミュージアムなどからの借用品も数多く揃えた本展。蒔絵はひとつひとつの作品も華やかで見ごたえがありますが、これだけの数が揃うとまさに圧巻です。
MOA美術館で開幕し、三井記念美術館で2会場目。この後に愛知・徳川美術館に巡回します(2023年4月15日~5月28日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年9月30日 ]