茶人としても知られ、多くの茶道具や古美術を蒐集してきた初代根津嘉一郎。
明治39年に当時としては破格の高値で落札し、世間を驚かせたのが室町時代の蒔絵の名品「花白河蒔絵硯箱」です。そんな嘉一郎が生涯を通じて集め続けた蒔絵作品を紹介する展覧会が、開催中です。
根津美術館 会場入口
蒔絵とは、漆で描いた文様に金粉を蒔いて装飾する技法で、日本で独自に発展した漆の技法のひとつです。約1000件もの漆工品を所蔵する根津美術館では、その半数以上が蒔絵作品です。会場では、飲食器や硯箱、調度品から仏具まで、用途ごとに紹介をしています。
《遍照蒔絵硯箱》 18世紀 根津美術館
骨董を見ることが好きだった嘉一郎は早くから蒔絵の蒐集をはじめ、上等な飲食器を購入し屋外の行楽の際にも用いていました。格調の高い蒔絵の中には、能の謡曲を題材として描かれたものもあり、重箱だけでなく外枠や盃にも精巧に施されています。
《謡寄蒔絵提重》 19世紀 根津美術館
所蔵の中でも質量ともに充実しているのは、嘉一郎が初期から好んだ道具のひとつ硯箱です。特に晩年には、重要文化財3点も含む名品も購入します。
昭和12年に購入された重要文化財《嵯峨山蒔絵硯箱》は、在原行平による楽舞を愛好した嵯峨天皇をたたえた和歌を蓋裏や蓋表の意匠からも感じることができます。
重要文化財《嵯峨山蒔絵硯箱》 16世紀 根津美術館
小さな箱から婚礼調度まで、大小様々な調度品を蒐集した嘉一郎。贅を尽くした装飾がなされた江戸時代の蒔絵が並びます。
貝合わせの貝を収めるための一対の桶は、婚礼調度においても重要な道具となりました。源氏物語を主題として桶では、ひとつには「初音」「紅葉賀」「夕顔」、もう一方には「若紫」「鈴虫」「朝顔」が描かれています。
《源氏物語図蒔絵貝桶》 18世紀 根津美術館
武士たちが用いた装具や馬具、鞍にも華やかな装いのかたちを見ることができます。
《向蝶蒔絵鞍鐙》 18世紀 根津美術館
中でも手に収まるほどの画面に高度な技術を注ぎ込んだ印籠は、小品ながらも存在感を放ちます。 腰から下げる装身具の印籠の多くは漆工品で、根津美術館が100点以上所蔵している印籠のほとんどが蒔絵作品です。
会場風景 蒔絵印籠
民間ではなかなか流通が少なかったのが中世の手箱です。嘉一郎は晩年、希少と言われる手箱から重要文化財《秋野蒔絵手箱》を手に入れます。 一方、手箱から離れた小箱類で茶の湯の墨手前で用いる小箱の購入の機会に恵まれ、複数所蔵をしています。墨手前で用いられる香合の中でも錫縁香合と呼ばれる小箱の世界も楽しむことができます。
《雀鳴子蒔絵香箪笥》 18世紀 根津美術館
重箱や楽器から手のひらほどのサイズのものまで、細密に技法が施された名品の数々。嘉一郎の蒐集したバラエティに富む蒔絵作品を堪能することができます。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2022年9月9日 ]