2011年に60歳の若さで亡くなったデザイナー、デザイン・コンサルタントの宮城壮太郎(1951-2011)。日用品、文房具、家庭用電気製品などのデザインからホテルのサイン計画まで、幅広い分野で活躍しました。
宮城が遺した仕事を振り返りながら、現代生活のなかでのデザインの可能性を探る展覧会が、世田谷美術館で開催中です。
世田谷美術館「宮城壮太郎展 使えるもの、美しいもの」
宮城壮太郎は東京生まれ。千葉大学工学部工業意匠学科を卒業後、学生時代にアルバイトをしていた浜野商品研究所に入社しました。
浜野商品研究所では商業施設計画や建築計画、プロダクトデザインなどを担当。この時代の仕事に、富士写真フイルム「FUJICA HD-1」と「FUJICA HD-S」があります。アウトドアでの使用を前提とした、全天候型生活防水カメラです。
プロローグ「浜野商品研究所の頃」
1988年9月に独立して、宮城デザイン事務所を設立した宮城は、さまざまな製品のデザインを手がけていきました。
チェリーテラスは、もとはスイス製のハンディ・フードプロセッサー「バーミックス」を輸入・販売するために創業された会社です。後に調理器具やテーブルウェア、食材なども扱い、オリジナル製品もつくるようになりました。
宮城は「パームハウス・グラス」や「oBon」などをデザインしました。収納性に配慮した入れ子状のアイデアは、後にデザインしたボウル、ザル、サラダスピナーを重ねて一つにまとめることができる「オールラウンドボウルズ」にも活かされています。
Part1「企業との信頼関係のなかで」 1 チェリーテラス
アッシュコンセプトは名児耶秀美が創業。同社のオリジナルブランドである「+d」(プラスディー)にもデザイナーとして参加し、2004年に「Tsun Tsun」(ツンツン)が発売されました。
デザインのパートナーとして高橋美礼を迎え、ゴム工場の廃棄物を利用し、100本の軟らかい突起を持つユニークな石鹸置きが誕生しました。
Part1「企業との信頼関係のなかで」 2 アッシュコンセプト、ルボア、村上タオル
山洋電気は無停電電源装置や産業用ロボットで使用するサーボモータ、コンピュータの内部を冷却するクーリングファンなどを製造しているメーカー。宮城は独立直後に同社のデザイン顧問となりました。
新たにコーポレートアイデンティティ(CI)を策定するため、当時の社名や製品名の表記方法を調査。調査を踏まえて、CIのほか、プロダクトアイデンティティ(製品デザインのガイドライン)も策定。後に同社の製品は、グッドデザイン賞を受賞していきます。
Part1「企業との信頼関係のなかで」 3 山洋電気
プラスとの仕事は、浜野商品研究所在籍時に事務机やキャビネットなどのデザインスケッチを描いており、独立後はオフィス家具、トレー、レターケースなどの卓上小物の提案をしました。
宮城の提案から生まれたのが「プラスシステムファイリング」のシリーズ。グレーを中心とした落ち着いた色調で、オフィス空間に違和感なく馴染みます。
明るい色調のホッチキスもデザイン。手のひらに収まるサイズで、軽い力で綴じられるように、細部にわたって使い易さを追求しました。
Part1「企業との信頼関係のなかで」 4 プラス
アスクルはプラスの新規事業としてスタートし、1997年に分社独立。アスクル代表の岩田一郎は、前職の時から宮城と仕事をしていたこともあり、宮城はアスクルの最初期からデザインに関わっています。
宮城は、浜野商品研究所でともに仕事をしていた有澤眞太郎とともに、アスクルのロゴと、ブランドマークとなる「アスクル坊や」をデザイン。ティッシュペーパー、ボールペン、付箋、ファイルなど、さまざまなオリジナル製品も手がけています。
さらにアスクルの本社である「e-tailing center」の開設にあたっては、施設全体のデザインディレクターとして参画しました。
Part1「企業との信頼関係のなかで」 5 アスクル
次の展示室に進むと、その他の仕事が紹介されています。宮城がデザインをした領域は多岐に渡りますが、いずれのデザインも主張が強すぎる事なく、形状はシンプル、色も抑制されています。
店頭での販売を考慮すれば、目立つことが必要と思われますが、特に日常生活で使うものについては、宮城は、その存在に気がつかないくらいのほうが好ましいと考えていたようです。
Part2「さまざまなデザイン」
宮城は浜野商品研究所で、商業施設のサイン計画も手掛けていました。南青山のフロムファースト、六本木のAXIS、東急ハンズの店舗などが、この時代の代表的な仕事として挙げられます。
ホテルのサイン計画では、千葉大学で同窓だった中村豊四郎と協働。セルリアンタワー東急ホテル、羽田エクセルホテル東急、ザ・キャピトルホテル東急を手がけています。
Part3「ホテルのサイン計画」
1980年代末、東急不動産の社内に設けられた、二子玉川駅東側の一画の再開発の勉強会に、宮城は外部ブレーンとして加わりました。
宮城のイメージ図では、建物は少しずれたように配置され、効率のみを求めるのではなく、意図的にあいまいな空間をつくっていました。
Part4「二子玉川の再開発計画」
宮城はデザインを志していた学生時代に、水彩で自動車の絵を描くなど、自動車への興味を持ち続けていました。コレクションしていたミニカーは、きちんとメーカーや国ごとに分類してケースに納めていました。
エピローグ「宮城壮太郎の想い」
決して派手な仕事は多くありませんが、どのプロジェクトを見ても、宮城が人と物との関係について、真摯に真正面から取り組んでいた事が良く分かります。
宮城の仕事を俯瞰して紹介する展覧会は、本展が初めての機会です。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年9月16日 ]