江戸時代の浮世絵版画の技法と美意識を継承した「新版画」。大正初年から昭和のはじめにかけて興隆し、海外のコレクターを魅了しましたが、近年は国内でも吉田博や川瀬巴水らの回顧展が相次いで開かれるなど、注目度が高まっています。
2021年から東京・大阪・山口を巡回した展覧会が、いよいよ最終展。千葉市美術館では、新版画の先駆ともいうべき作品も含めて、約200点の作品が並びます。
千葉市美術館「新版画 進化系UKIYO-Eの美」
展覧会はプロローグ「新版画誕生の背景」から。明治に入って浮世絵が衰退するなか、わずかに検討していた二人の版元が秋山武右田衛門(滑稽堂)と松木平吉(大黒屋)です。
小原古邨や山本昇雲の作品は精巧な彫りと摺りが見ものですが、版画らしさに乏しいともいえます。
(左から)小原古邨《木蓮に九官鳥》明治後期 版元:滑稽堂秋山武右田衛門 / 小原古邨《小鷺》明治後期 版元:滑稽堂秋山武右田衛門
そのような浮世絵の現状を憂いて立ち上がったのが、渡邊庄三郎でした。
最初に組んだ絵師は高橋松亭で、輸出用の版画を軽井沢で外国人相手に販売して成功。手応えをつかんだ渡邊は、新版画の制作に乗り出していきます。
高橋松亭《ふじ川上り舟》明治42-大正12年(1909-23)版元:渡邊庄三郎
第1章は「新版画、はじまる」。渡邊は当代の感覚をもつ画家に下絵を描かせて木版画をつくる構想を進めていきますが、最初に起用したのは意外にも外国人の画家でした。
フリッツ・カペラリはオーストリア人。ウィーンの美術アカデミーで学び、明治44年(1911)に来日しました。渡邊は初期浮世絵を理想としており、カペラリのナイーブな下絵は、渡邊の理想にぴったり合うものでした。
(左から)フリッツ・カペラリ《鏡の前の女(立姿)》大正4年(1915)版元:渡邊庄三郎 / フリッツ・カペラリ《女に戯れる狆》大正4年(1915)版元:渡邊庄三郎
カペラリに続き、渡邊は翌年には橋口五葉と伊東深水も起用。橋口五葉はこの作品のみで渡邊のもとを去りますが、深水は以後も渡邊とともに多くの作品を制作しています。
(左から)伊東深水《対鏡》大正5年(1916)版元:渡邊庄三郎 / 橋口五葉《浴場の女》大正4年(1915)版元:渡邊庄三郎
第2章は展覧会のハイライトといえる「渡邊版の精華」。新版画を代表する作家といえる川瀬巴水は、渡邊が出版した伊東深水による《近江八景》に感銘を受けて、渡邊のもとへ。
叙情豊かな巴水の作品は、アップルコンピュータ創業者のスティーブ・ジョブズを魅了した事でも知られています。
(右端)川瀬巴水《牛堀》昭和5年(1930)版元:渡邊庄三郎
さらに渡邊は名取春仙、山村耕花らと次々に作品を出版。美人画、風景画、役者絵と、ジャンルも充実していきました。
大正10年には日本橋白木屋呉服店で「新作版画展覧会」を開催。150点を一堂に集め、大きな評判を呼びました。
渡邊は関東大震災で作品や版木のほとんどを失いましたが、その後も長く木版画を手がけました。現在でも株式会社 渡邊木版画美術画舗として出版を続けています。
(左から)名取春仙《五世中村歌右衛門の淀君》大正14-昭和4年(1925-29)版元:渡邊庄三郎 / 名取春仙《初代中村鴈治郎の紙屋治兵衛》大正5年(1916)版元:渡邊庄三郎
第3章は「渡邊庄三郎以外の版元の仕事」。渡邊の成功に触発され、新版画に参入する版元もありました。
新聞小説の挿絵や日本画でも活躍した北野恒富の作品を出発したのは、根津清太郎です。ちなみに、妻の松子は根津と離縁した後に、谷崎潤一郎の三人目の妻になりました。
(左から)北野恒富《舞妓》昭和5年(1930)頃 出版:根津清太郎 / 北野恒富《鷺娘》大正14年(1925)頃 出版:根津清太郎
最後の第4章は「私家版の世界」。版元とともに作品を発表する作家がいる一方で、自らが版元になって制作を進める作家も現れました。橋口五葉と吉田博は、私家版の代表的な作家です。本展では、生前橋口五葉が監督した作品すべてを見る事ができます。
小早川清は、独特の生々しい女性像を得意とした作家です。『近代時世粧』は同時代の女性風俗を描いた6連作で、小早川ならではの特徴が存分に発揮されています。
(左から)小早川清《近代時世粧ノ内 一 ほろ酔ひ》昭和5年(1930)私家版 / 小早川清《近代時世粧ノ内 六 口紅》昭和6年(1931)私家版
さらに、本展では「特集展示」として、新版画の先駆ともいうべき、明治末期に来日して木版画に取り組んだ外国人作家2名の作品も紹介しています。
ヘレン・ハイド(1868-1919)はニューヨーク生まれ。明治31年(1899)に来日し、あわせて12年ほどの滞日期間のあいだに、70点以上の木版画を制作しました。とりわけ、子どもと母親を描いた作品に定評があります。
(左から)ヘレン・ハイド《入浴》明治38年(1905) / ヘレン・ハイド《鏡》明治37年(1904)
もうひとりのバーサ・ラム(1869-1954)は、アイオワ州生まれ。明治36年(1903)に新婚旅行で来日し、木版画の道具を購入して帰国。ミネアポリスで木版画を制作しはじめました。
その後も幾度も来日して技術を磨き、最終的には浮世絵からの直接的な影響を脱した、幻想的な独自の作風を確立しています。
バーサ・ラム《糸を紡ぐ女神》昭和5年(1930)
川瀬巴水、吉田博、橋口五葉など、新版画ではお馴染みの面々に加えて、あまり知られていない作家も含めて、新版画の歩みを通覧できる展覧会です。これまで新版画をよく見ていた方も、ぜひお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年9月13日 ]