「子どもの幸せと平和」をテーマに描き続けた絵本画家・いわさきちひろと、その師である三重県松阪市出身の画家・中谷泰の交流にスポットを当てた展覧会が、中谷泰の地元・三重県立美術館で開催されています。

入口看板
「いわさきちひろ展」と聞いて思い浮かべるのは、明るくやわらかなタッチの絵が並んだこんな展示風景ではないでしょうか。 もちろん誰もが知っている、優しい「いわさきちひろ」作品もたくさん見ることができますが、この展覧会の見どころはそれだけではありません。

展示風景
ちひろは絵本画家として歩み始める前、三重県松阪市出身の画家・中谷泰に師事し、大きな影響を受けたといわれています。 中谷は、文部省美術展覧会で特選を受賞するなど、新進の洋画家として注目されていました。

展示風景
1942年第5回新文展で特賞を受賞した中谷泰の作品『水浴』。 ちひろはこの作品を目にして中谷に教えを乞うたというのが、これまでの「ちひろと中谷の出会い」の通説でした。
しかし、「明確な資料があるわけではないのですが、ちひろと中谷は通説より前に知り合っていたのではないかと思われるんです」と、美術館学芸員の原舞子さんは解説します。

中谷泰『水浴』 東京藝術大学蔵
中谷泰は、1942年4月に『婦人像』を春陽会展に出品しています。 『婦人像』は「ちひろがモデルである」と中谷自身が言及しており、それが確かであれば、1942年10月の新文展に『水浴』が出品されたときには、既にちひろは中谷のもとで学んでいたことになります。
三重県立美術館の「いわさきちひろ展」はコロナ禍で2年延期になってしまいましたが、その間に改めて丹念に資料を読み込み、この新たな発見につながったそうです。

中谷泰『婦人像(習作)』
ちひろが中谷のもとで直接手ほどきをうけていたのは、わずか1,2年のことでした。 戦争が激しくなり、芸術活動は中断を余儀なくされたのです。 ちひろの自宅は空襲で焼けてしまい、この頃の作品は焼失してしまっていますが、中谷のアトリエに残された貴重な作品が『なでしことあざみ』です。

いわさきちひろ『なでしことあざみ』
直接の師弟関係がなくなってからも、ちひろと中谷の交流は続きます。 戦後間もない時期にちひろが中谷に宛てた書簡が展示されていました。 中谷と岩崎家は家族ぐるみの交流があったといいます。

中谷泰宛 いわさきちひろ書簡
戦後、ちひろは芸術学校で再び絵を学び、新聞社の記者として記事と挿絵を担当しながら画家としての道を進み始めます。 表現方法や色づかいは後の作品とだいぶ違う印象を受けますが、ところどころに「ちひろらしさ」が見られます。 少女のうしろの子どもたちの後姿に、中谷の「水浴」の面影を感じませんか?

いわさきちひろ『ハマヒルガオと少女』
油彩画の制作に励みながら、ちひろは紙芝居も手がけています。 紙芝居『お母さんの話』はのちに出版され、文部大臣賞を受賞しました。
ちひろ自身は油彩画で画家として身を立てるつもりでしたが、生活のこともあり、次第に挿絵や絵本の仕事が増えていくようになりました。

いわさきちひろ『お母さんの話』アンデルセン童話から 稲庭桂子・脚本
ちひろの作品に登場する子どもは、自身の家族をモデルにしていると言われています。 車中でくつろぐ夫と息子、そしてそれをスケッチするちひろの手元を描いた一枚。 何気ない日常の一場面ですが、家族への愛情が感じられます。

いわさきちひろ『車内で息子をスケッチするちひろ』
ちひろにとってアンデルセンは重要な存在であり、毎年のようにアンデルセンの童話に絵を描き続けていました。 ちひろは、アンデルセンの『絵のない絵本』を鉛筆と墨だけで描き上げます。 色の無い世界で、ちひろの線の美しさがいっそう際立っています。

いわさきちひろ 『絵のない絵本』から「王座で死んだ少年」 アンデルセン・原作 山室静・訳
生涯を通してちひろの大きなテーマとなった「戦争」。 自らの戦争体験から、戦時下の子どもたちを描いた絵本を描き残しています。 戦火の中を生きる子どもたちの目線で描かれた絵は、子どもたちの平和を願うちひろの強い思いの表れでした。

いわさきちひろ 『母さんはおるす』から「戦場から帰ってきたお母さん」 グエン・ティ・作 高野功・訳
展示の終わりには、わたしたちのよく知る「いわさきちひろ」の作品が広がります。 ちひろの生きた道のりをたどってみると、ただ「かわいい」ばかりの作品でないことに気づかされます。

展示風景
鑑賞するだけでなく、ちひろの世界を体感できるコーナーも設けられています。 アートユニット・plaplaxによる、いわさきちひろ作品とのコラボレーションを楽しみましょう。 画用紙に見立てた白い床の上を歩くと、ちひろカラーが足あとのように滲んで広がります。

plaplax『絵具のあしあと』
こちらはスクリーンの前に立つと、ちひろの世界に白抜きの姿で入り込むことができます。

plaplax『絵の中の子どもたち』
幼い頃から誰もが親しんできた「いわさきちひろの世界」を、これまでと違った角度から楽しむことができる企画展となっています。ぜひ夏休みに子どもたちと訪れてみてはいかがでしょうか。
特別に記載のない作品はちひろ美術館蔵 (展示風景以外)
[ 取材・撮影・文:ぴよまるこ / 2022年7月16日 ]
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