スイスのジュネーヴにあるプチ・パレ美術館。プチ・パレ美術館は、19世紀後半から20世紀前半のフランス近代絵画を中心とした、豊富なコレクションには定評があります。
同館の38名の画家による油彩画65点で、印象派からエコール・ド・パリに至るフランス近代絵画の流れを辿る展覧会が、SOMPO美術館で開催中です。
SOMPO美術館「印象派からエコール・ド・パリへ スイス プチ・パレ美術館展」
展覧会は6章構成で、第1章「印象派」から。日常生活に基づく主題を屋外で描くことで、絵画の歴史に偉大な足跡を残した印象派。線描とデッサンを捨て、単色による細かな筆致に専念しました。
《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像》は、ルノワール晩年の作品です。ルノワールは当初はあまり乗り気でなかったものの、女性の美しい髪に惹かれて、肖像画の依頼を引き受けたとされています。
オーギュスト・ルノワール《詩人アリス・ヴァリエール=メルツバッハの肖像》1913年
第2章は「新印象派」。因習的なサロンへの反発は強くなり、1884年に独立芸術家協会が設立。無審査で作品を発表できる、アンデパンダン展が開催されました。同展には、ジョルジュ・スーラやポール・シニャックなど、後に新印象派で活躍する画家も出展しています。
アンリ=エドモン・クロスも、アンデパンダン展の創設に携わったひとり。南仏のサン=クレールではシニャックと画架を並べて、コート・ダジュールの楽園的な風景を描きました。
アンリ=エドモン・クロス《遠出する人》1894年
第3章「ナビ派とポン=タヴァン派」。フランス北部のポン=タヴァンという小さな村に滞在したポール・ゴーギャンと、その周辺にいたエミール・ベルナールなどの若い画家がポン=タヴァン派。ゴーギャンから助言を受けたポール・セリュジエが、友人のモーリス・ドニらに声をかけて結成されたグループが、ナビ派です。
ドニはブルターニュの海沿いの景観を好みました。《ペロス=ギレックの海水浴場》では、海岸で憩う人々を、古典美術のような裸体像で表現しています。
モーリス・ドニ《ペロス=ギレックの海水浴場》1924年
第4章は「新印象派からフォーヴィスムまで」。1905年のサロン・ドートンヌで、若い画家たちによる、大胆な筆遣いと鮮やかな色彩の絵画がひとつの展示室に集められ、「フォーヴ(野獣)の織」のようだと評されたのが、フォーヴィスムの由来です。
デュフィはフォーヴィスムのマティスから影響を受けましたが、後にフォーヴィスムから離れていきました。
ラウル・デュフィ《マルセイユの市場》1903年
第5章は「フォーヴィスムからキュビスムまで」。1907年にピカソが描いた《アヴィニョンの娘たち》で誕生したキュビスム。対象を複数の視点からとらえ、それらを組み合わせて描くことで、絵画で現実を構築することを提唱しました。
ジャンヌ・リジ=ルソーは、当初はナビ派でしたが、20世紀初頭にキュビスムに転向しました。
ジャンヌ・リジ=ルソー《白い胸あて》1911年
最後の第6章は「ポスト印象派とエコール・ド・パリ」。ふたつの大戦の間のパリで活躍した芸術家のなかで、特定の芸術運動に属さず、明確な芸術上の主義や信条をたてない画家たちをエコール・ド・パリと呼びます。
ユトリロは、エコール・ド・パリを代表する画家のひとりです。《ノートル=ダム》は、黒い輪郭線で正面から見た大聖堂を描き、立体感を強調しています。
モーリス・ユトリロ《ノートル=ダム》1917年
プチ・パレ美術館は1998年に休館して以降、現在も一般には公開されていないので、その作品は現地でも見ることができません。貴重な作品をじっくり鑑賞できるまたとない機会です。
フランス近代絵画の重要な美術運動を網羅した、教科書のような展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年7月12日 ]