平氏政権と源頼朝・義経らが覇を競った源平合戦と、鎌倉幕府が開いた後の有力御家人たちによる権力争い。『平家物語』や『吾妻鏡』などの軍記物でも知られますが、近年、大河ドラマなどで再び注目を集めています。
浮世絵でもしばしば描かれているこの時代を取り上げ、武士たちの栄枯盛衰をたどる展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
太田記念美術館「源平合戦から鎌倉へ ―清盛・義経・頼朝」
展覧会は3章構成で、ほぼ時代順。さまざまな戦いやエピソードに事欠かないこの時代を、改めて整理して追っていきます。
第1章は「清盛と平家全盛」。《源義仲四天王ともに木曽の奥山に天宮を退治す》は、木曽義仲の若き日の姿です。木曽の山奥で育った義仲は野性的、画面中央で天狗の鼻を鷲掴みにしています。
二代勝川春章《源義仲四天王ともに木曽の奥山に天宮を退治す》天保(1830〜44)頃
歌川広重は風景画の名手ですが、ユニークな戯画も描いています。
《童戯武者尽 酒呑童子/武蔵坊弁慶》では、弁慶がゴザを敷いて道具屋を開いており、義経が買い物にきています。
歌川広重《童戯武者尽 酒呑童子/武蔵坊弁慶》嘉永7年(1854)8月
脱力系の作品の後は、美しい作品もご紹介しましょう。平清盛の嫡男である平重盛を、歌川国芳が描きました。
『平家物語』で重盛は、道理をわきまえる冷静沈着な人物とされています。黒い着物の柄は正面摺りで表現され、凛々しい表情とともに威厳を感じさせます。
歌川国芳《名高百勇伝 平重盛》天保14〜15年(1843〜44)頃
第2章は「義経と源平合戦」。主に義経を描いた作品を紹介しています。
こちらも広重の作品で、鵯越逆落としは源平合戦では重要な戦いですが、この作品はなぜか牧歌的。
愛馬を背負って斜面を下りたという畠山重忠の姿もありますが、広重が描きたいのは背景の山であるのは一目瞭然です。
歌川広重《義経一代記之内 義経智略一の谷鵯越逆落し》天保5〜6年(1834〜35)頃
頼朝と義経の仲は次第に悪化。ついに頼朝は土佐坊昌俊に命じて、京堀川にある義経邸を襲撃させます。
この危機に際して、静御前が眠っていた義経に鎧を投げつけて起こし、昌俊を撃退。頼朝追討の宣旨を後白河法皇から受け取り、対立は決定的になります。
小林清親《日本外史之内 御馬屋喜三太と九郎判官源義経》明治15年(1882)
第3章は「頼朝と鎌倉武士の時代」。頼朝は義経と奥州藤原氏を滅ぼし、新たな武家政権を立ちあげますが、安寧の時代は長くは続きませんでした。
《燿武八景 裾野夜雨》は、土砂降りの雨の中、曽我兄弟が父の仇である工藤祐経の寝所を伺っている場面。大河ドラマでは、本当の目的は仇討ちではなく頼朝暗殺だったという大胆な設定でした。
歌川国芳《燿武八景 裾野夜雨》天保7〜13年(1836〜42)頃
そして、ついに和田義盛と北条義時が激突。和田方は勝軍御所を襲いますが、兵力の差もあり敗走。一族は滅亡します。
素手で惣門を押し破っているのは、和田義盛の息子、朝比奈義秀。母は巴御前という伝説もあるので、剛腕は両親からのDNAという事になります。
歌川国芳《和田合戦 義秀惣門押破》嘉永5年(1852)6月
これから大河ドラマでは御家人同士の争いが激化しますが、浮世絵では源平合戦ほどは描かれていません。権謀術数をめぐらせた覇権争いは、絵画化しにくかったのでしょうか。
会期は1カ月弱とかなり短めです。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年6月30日 ]