日本美術で桜と楓なら、吉野と龍田がお約束。和歌に詠み継がれてきた日本の名所イメージが「歌枕」です。
歌枕は日本人に共通するイメージでしたが、和歌や古典が日常とは結びつかなくなった現代において、歌枕は共感することが難しくなってしまいました。
かつては常識だった歌枕を改めて紹介し、再び日本美術への思いを共有させることを試みる意欲的な展覧会が、サントリー美術館で開催中です。
サントリー美術館「歌枕 あなたの知らない心の風景」 東京ミッドタウン前の告知
展覧会は第1章「歌枕の世界」から。まずは導入として、屛風絵に描かれた大画面の作品で、歌枕の世界を体感していきます。
月夜の橋、水車、柳が描かれた屏風で表現されている場所は、宇治です。歌枕における宇治は、現世を厭う「憂し」であり、橋は浄土への架け橋、水車は輪廻転生の象徴です。
(左から)《柳橋水車図屛風》桃山時代 16~17世紀 京都国立博物館[展示期間:6/29〜8/1] / 《宇津の山図》山本探川 江戸時代 18世紀 静岡県立美術館[展示期間:6/29〜8/1]
実は吉野は、そもそもは「春の到来が遅い奥山」として、和歌では雪や山間を流れる急流が詠まれていました。
その後、吉野が桜の名所に変わると、従来の急流に桜を合わせたイメージが確立しました。
(左から)《春秋花鳥図屛風》土佐光起 江戸時代 17世紀 サントリー美術館[展示期間:6/29〜8/1] / 《吉野図屛風》室町時代 16世紀 サントリー美術館[展示期間:6/29〜8/1]
第2章は「歌枕の成立」。「歌枕」という言葉も、古くは和歌に使用される言葉全体を指し、あくまでも地名はその一分野でした。
歌人のあいだで繰り返し詠み継がれたことで、歌枕は「和歌によって特定のイメージが結びつけられた地名」を指すようになったのです。
《歌仙絵 左京大夫顕輔》鎌倉時代 13世紀 サントリー美術館[展示期間:6/29〜7/25]
第3章は「描かれた歌枕」。歌枕は、早くから美術と深く関わりながら展開していきました。
展示されている石山寺縁起絵巻の模本は、石山観音のお告げ通りに、宇治川の魚の中から院宣を発見する場面。ここにも宇治を象徴する橋や水車が描かれています。
《石山寺縁起絵巻(模本)》谷文晁 江戸時代 19世紀 七巻のうち第五巻 サントリー美術館[展示期間:6/29〜7/25]
狩野養信による三幅対は、天橋立・須磨・明石と三つの歌枕を取り合わせたもの。三幅が並ぶと画面が連続します。
《源氏物語 浮舟図》は、有明の月が澄み上がる夜、浮舟と匂宮が宇治川を渡る逢瀬を描いたものです。
(左から)《天橋立・須磨・明石図》狩野養信 江戸時代 19世紀[展示期間:6/29〜7/25] / 《源氏物語 浮舟図》清原雪信 江戸時代 17世紀 板橋区立美術館[展示期間:6/29〜7/25]
吹き抜け部は、第4章「旅と歌枕」。歌枕は「居ながらにして名所を知る」ことができるため、疑似的な旅を体験することにもつながります。
歌川国芳《百人一首之内》は、小倉百人一首を主題にした錦絵揃物。歌川広重《諸国六玉河》は、名所風景画として六玉川を表現しています。
(奥から)《百人一首之内 権中納言定頼》歌川国芳 天保13~14(1842~43) 跡見学園女子大学図書館[展示期間:6/29〜7/25] / 《百人一首之内 中納言行平》歌川国芳 天保13~14(1842~43)跡見学園女子大学図書館[展示期間:6/29〜7/25] / (手前2点)《諸国六玉河》歌川広重 天保6~7年(1835~36)頃 中外産業株式会社原安三郎コレクション[全期間展示 ※場面替あり]
最後の第5章は「暮らしに息づく歌枕」。歌枕は多くの器物の意匠に取り込まれてきました。
《色絵桜楓文透鉢》は、外側から見込みにかけて桜と紅葉をデザイン。口縁近くには透かしがあり、桜と紅葉に立体感を与えています。
《色絵桜楓文透鉢》仁阿弥道八 江戸時代 19世紀 サントリー美術館[全期間展示]
《龍田川蒔絵櫛》は、歯が長い漆塗りの櫛に、金蒔絵と截金で表現されているのは、流水と楓。すなわち、龍田川です。『伊勢物語』の第106段「龍田川」を表しています。
《龍田川蒔絵櫛》江戸時代 19世紀 サントリー美術館[展示期間:6/29〜7/25]
いにしえの時代には皆で共有されていた世界観に、少し近寄れたような気がする展覧会です。
国内のさまざまな美術館から出品されている事もあり、細かな展示替えがたくさんあります。出品リストは公式サイトに掲載されています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年6月28日 ]