豊かな色彩にあふれる浮世絵版画。その中で「色」をテーマに、という流れなら、「広重ブルー」など青(ベロ藍)をテーマにしたものはしばしば見受けられますが、逆に赤は、あまり注目されていなかったかもしれません。
ただ、浮世絵の歴史をひもとくと、「紅絵」や「紅摺絵」など制作用語の中に赤は何度も出てきます。赤の使い方は、浮世絵の中で大きな位置を占めているのです。
ずばり、今回は浮世絵の赤に着目。鮮やかな赤色が印象的な浮世絵を約60点紹介する展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
表参道にある看板
展覧会は1章「赤の名品」からスタート。18世紀半ばから19世紀末にかけて制作された、赤が際立つ作品を時代順に紹介していきます。
勝川春潮は役者絵で有名な勝川春章の弟子ですが、自らは美人画の名手でした。展示されている作品は、赤だけでなくピンクや紫も退色することなく残っている、貴重な作例です。
勝川春潮《四代目岩井半四郎の七変化》天明7年〈1787〉
2章は「赤の歴史① 丹絵・紅絵・紅摺絵」。最初期の浮世絵版画は墨一色でしたが、後に筆で彩色するように。さらに進むと、2〜3色の版を重ねて摺るようになります。
丹や紅は、ともに赤色の事です。追加された色は赤だけではないのですが、最も重要な色である赤が、その名称に選ばれているのです。
鳥居清倍《おもちゃの万燈をもつ女》正徳(1711〜16)頃
3章は「赤の歴史② 錦絵誕生」。明和2年(1765)に10色近い色を摺り重ねられるようになると、現在のわたしたちがイメージする浮世絵になります。着物の錦のように美しいことから「錦絵」と呼ばれます。
展示されている鳥居清長の作品は、5枚続の内の左側の2枚です。これまでほとんど展示された事はありませんが、こちらもピンクや紫色が鮮やかに残っている作品です。
鳥居清長《牛若丸と浄瑠璃姫》天明8年(1788)頃
4章は「赤の歴史③ 幕末の赤」。天保年間(1830〜44)に「ベロ藍」が広まり、幕末には発色の良い赤も増加。多色摺り木版画としての浮世絵は、華やかさを増していきます。
歌川広重の風景画、歌川国貞(三代豊国)の役者絵など、さまざまな作品で派手な赤色が使われました。
(手前)歌川国貞(三代豊国)《春の遊初音聞ノ図》安政5年(1858)12月
5章は「赤の歴史④ 明治の赤」。明治維新後に海外から赤い絵具が輸入されるようになると、浮世絵にはさらに赤が増えていきます。
一般的に、これらの作品は「粗悪な赤い浮世絵」とされています。ただ、最近では、特に若い人の反応は悪くないそうです。大量に摺られたので質が低い作品が残っている事も事実ですが、先入観にとらわれずに鑑賞する事で、再評価の動きが出てくるかもしれません。
揚州周延《東京華族学校 学習院宴会図》明治12年(1879)11月
6章は「さまざまな赤」。歌舞伎役者の隈取、流れる血など、浮世絵の中での赤の使われ方を見ていきます。
小林清親の作品は、燃え盛る炎としての赤です。神田から出火した大火事の模様を清親は丹念にスケッチして作品にしました。
小林清親《明治十四年一月廿六日出火 両国大火浅草橋》明治14年(1881)
最後は「変わる赤」。退色しやすいといわれる赤ですが、普通の鑑賞ではあまり実感できないと思います。ここではあえて、同じ作品で保存状態が異なるものを、並べて紹介しています。
展示されている鳥居清長の作品を見ると、右側が赤や紫の色が大きく退色していることが明らかです。紅や露草など、植物性の絵具はとても退色しやすいのです。
鳥居清長《初代中村仲蔵の白拍子桂木 四代目松本幸四郎の名月坊 三代目大谷広次の十六夜坊》天明3年(1783)8月
赤だけにテーマを絞った浮世絵の展覧会が成立するのは、初期から近代まで幅広い作品を所蔵している太田記念美術館ならでは。特に最後の退色の比較などは、まさに浮世絵専門美術館の真骨頂といえます。
ユニークなテーマという事もあって、ふだんはあまり展示されない作品が出ているのも、浮世絵ファンとしては嬉しい限りです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年3月3日 ]