とれだけ科学技術が発達しても占い師がなくならないように、人は何かを信じてしまうもの。江戸時代も、さまざまな民間信仰が庶民に親しまれていました。
「信じる」をテーマにさまざまな浮世絵を紹介する展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
太田記念美術館
展覧会の第1章は「浮世絵で拡散! ─ 流行神・迷信・噂話」。流行神とは、突発的に信仰されて急速に忘れられる神仏のことです。
江戸時代の流行神を代表する存在が、嘉永2年(1849)に流行した、お竹如来です。品行の良い下女・お竹が、実は大日如来の化身で、天に登ったという伝説が広まりました。
関斎《烈婦於竹の伝》嘉永2年(1849)
同時期に流行ったのが、内藤新宿正受院の奪衣婆(だつえば)。もとは三途の川のほとりで亡者の衣服を剥ぎ取る鬼婆ですが、江戸時代末期には民間信仰の対象になりました。
多数の願い事を聞かされ、うんざりした顔で耳を塞いだり、釈迦涅槃図のように横たわったりと、人気を象徴するように、さまざまな奪衣婆の作品がつくられました。
(左から)歌川国芳《奪衣婆の願掛け》嘉永2年(1849) / 歌川国芳《流行おばアさん ねがいしようじゆ》嘉永2年(1849)
江戸の人々は迷信も大好き。生活の中で信じられた迷信は、浮世絵の題材になりました。
地震が起こるのは、もちろんナマズが動くから。安政の大地震の際には、おびただしい「鯰絵」が出版されました。
鯰を封印するはずの要石を、軽々と持ち上げる鯰。これ見よがしのポーズがユニークです。
作者不詳《大都会無事》安政2年(1855)
幕末から明治にかけての動乱の時代には、時事性が強い浮世絵も数多く出版されましたが、中には噂話レベルのニュースもみられます。
西南戦争に敗れた西郷隆盛が自刃した明治10年、夜空に「西郷星」が現れました。その正体は、地球に大接近していた火星。明るい光の中に、西郷の姿が見えるという噂が広まったのです。
歌川国利《流行星の珍説》明治10年(1877)
第2章は「江戸のイベントと信仰」。江戸の市中では、さまざまな信仰にちなんだ行事が毎月のように催されていました。江戸の庶民は、それらを気楽なイベントとして楽しんでいたようです。
福をもたらす神として現代でも人気がある七福神は、和漢の神仏を組み合わせたもの。江戸時代には良い初夢を見るために、正月に七福神を描いた絵を枕の下に敷いて寝る風習がありました。
渓斎英泉・歌川国貞・歌川国芳《宝船》天保後期(1837~44)頃
第3章は「江戸の旅と信仰」。江戸の庶民は遠く足をのばして、さまざまな場所の寺社仏閣を参詣しています。人気を集めた参詣地として、伊勢神宮や富士山などがあげられます。
江戸時代中期には冨士信仰が高まり、江戸からも多くの人が富士登山に赴きました。富士を描いた作品の中には、多くの登山者が山頂を目指しているものもあります。
(左手前から)歌川貞秀《三国第一山之図 三まいつゞき》嘉永2~5年(1849~52)頃 / 歌川貞秀《大日本富士山地頂之図》安政4年(1857)
最後の第4章は「浮世絵と尊像」。一枚ずつ印刷される浮世絵は、通常は手にとって見て楽しむものですが、中には尊像などが描かれ、軸装されて床の間に飾られたものもありました。
菅原道真は実在の人物ですが、死後は天満天神として神格化され、江戸時代には学問の神様として親しまれています。
歌川芳虎《大政威徳天満大自在天神》江戸時代末期(1844~68)頃
怪しげな話を信じるのは困りものですが、描かれた表現を見てみると、信じる・信じないを超えて、それらを楽しんでいるような余裕が感じられます。
幕末の浮世絵は、シリーズ物全体で数十万枚という規模で印刷されました。まさに江戸時代のSNSともいえそうです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年2月3日 ]