風景や役者など浮世絵にはさまざまな題材が描かれていますが、男女の恋模様も定番といえるテーマのひとつ。
浮世絵に描かれた「恋」にテーマをあてた展覧会が、太田記念美術館で開催中です。
太田記念美術館「江戸の恋」会場風景
会場は2部構成で、第1部「恋に恋して」では、人々が憧れる恋の場面や、遊里を舞台にした作品が紹介されています。
中性的な人物像で知られる鈴木春信は、恋の描写も名手です。ふたりで一棹の三味線を引く《つれびき》は、玄宗皇帝と楊貴妃による「並笛図」の見立てです。
鈴木春信《つれびき》明和4年(1767)頃
《両国花火之図》は、両国橋での花火見物を描いた作品です。画面中央では青年と女性の目があい、見つめあっているようにも見えます。
現在でも、花火見物はデートの定番。今まさに、恋が生まれたところかもしれません。
歌川豊国《両国花火之図》文化10-11年(1813-14)頃
《床盃図》は、元禄頃の古い作品です。この時代、蚊帳の内外を描くことが好まれましたが、この作品では蚊帳が巻き上げられて、遊女の顔がはっきり見えています。
男性の客が酒の入った盃を遊女に飲ませている場面です。
菱川師平《床盃図》元禄(1688-1704)頃
こちらは、丑の刻(午前2時頃)に手紙を書く遊女です。この時間に手紙を書く、という事は、すなわち客がつかなかったのでしょう。
遊女にとって客がつかない事は、イコール、借金を返せないという事。会いたいと思わせる手紙を書く事は、遊女に欠かせないスキルです。
歌川国貞《丑ノ刻 夜の八つ》文政(1818-30)中期頃
遊女にとって客は擬似恋愛ですが、客ではない恋人は間夫(まぶ)といいます。
《春の吉原》では右側に妓楼へ戻る客と遊女が描かれていますが、遊女の視線は画面中央の荷を運ぶ青年へ。こういった出会いから、遊女と間夫の恋が生まれたのかもしれません。
歌川豊国《春の吉原》寛政3-5年(1791-93)頃
第2部「ドラマチックに恋して」では、物語や伝説で語られた恋愛譚。
なぜか悲劇的な結末が多いこの章の作品で、唯一といえるハッピーエンドが『廓文章』です。主人公の伊左衛門は落ちぶれた紙衣(紙でつくった衣服)姿ですが、遊女の夕霧とめでたく結ばれます。
歌川国貞(三代豊国) (左から)《東海道五十三次之内 吉田之駅 夕霧》嘉永5年(1852)6月 / 《東海道五十三次之内 吉田 ふじや伊左エ門》嘉永5年(1852)8月
八百屋お七は、恋人に会いたい一心で放火事件をおこし、火刑に処された悲劇のヒロインです。お七のエピソードは多くの創作を生みました。
明治に上演された歌舞伎を題名とする『松竹梅湯嶋掛額』。この芝居では、お七は火の見櫓の太鼓を打つものの、放火はしませんが、月岡芳年は炎も描いて劇的な場面に仕上げました。
もっとも、お七の事件はどこまでが史実か、議論になっています。
月岡芳年『松竹梅湯嶋掛額』明治18年(1885)12月
『五大力恋緘』は、薩摩藩士が遊女を殺した事件を脚色した作品。《英名二十八衆句 勝間源吾兵衛》では、嘘の愛想尽かしに怒った源五兵衛が、恋人の芸者・小万を殺害。背後の風呂敷には、小万の首が包まれています。
月岡芳年《英名二十八衆句 勝間源吾兵衛》慶応2年(1866)12月
高師直は足利尊氏に仕えた武将ですが、塩冶高貞の妻に横恋慕します。風呂上りの素顔を見せれば恋も醒めると考えてわざと覗かせますが、かえって恋心が募ってしまいます。
こちらも史実であるかどうか不明ですが、こうした師直像は歌舞伎や浄瑠璃で繰り返し描かれています。
月岡芳年《つき百姿 垣間見の月 かほよ》明治19年(1886)9月
江戸の昔も現代も、恋は人々を悩ませます。亡くなった瀬戸内寂聴さんが「恋愛は雷が落ちてくるようなもの」なので防ぎようが無い、と言っていたのを思い出しました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年1月4日 ]