イラストレーター、グラフィックデザイナーとして長きに渡って活躍してし、2019 年に逝去した和田誠(1936-2019)。映画監督、エッセイ、アニメーションなども手がけ、幅広い分野で一級の仕事を残しました。
約2,800 点の作品や資料を一堂に集め、和田誠の全容に迫る展覧会が、東京オペラシティ アートギャラリーで開催中です。
東京オペラシティ アートギャラリー「和田誠展」
親しみやすい画風で、誰もがどこかで見たことがある和田誠の作品。ただ、その全体像を見る機会は、ほとんどありませんでした。
展覧会では30のトピックスで、和田誠の全仕事を紹介。いくつかに絞ってご紹介しましょう。
展示室に入って左側の壁面を埋め尽くす「似顔絵」。和田誠といえば似顔絵、と語られるほど、和田は多くの人の似顔絵を描いています。
「似顔絵」
続いて、幼少期〜高校生までの歩みを紹介する「和田誠になるまで」。幼少から家の中で絵を描くことが大好きだった和田。高校時代のノートには、先生や同級生の似顔絵やスケッチ、漫画などが所狭しと描かれています。
「和田誠になるまで」
多摩美術大学を卒業後、ライトパブリシティに入社。当時の同社には村越襄、向秀男、細谷巖、田中一光などが在籍しており、広告制作会社として飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
この頃の和田は、写真を使ったデザインを数多く手がけています。
「ライトパブリシティの時代」
和田の作品が良く知られている要因のひとつが、長期に渡る仕事をいくつも手がけている事。週刊文春は40年以上、朝日新聞の読者欄の似顔絵は25年以上、同じく朝日新聞の「三谷幸喜のありふれた生活」は2000年から始まり、和田が没した今でも既存の作品で継続しています。
和田の作品は安定したクオリティに加え、飽きさせない工夫が随所に見られます。
「ロングランの仕事」
単行本、文庫、新書を合わせて2000冊以上の装丁を手がけた和田。初めての装丁は1961年『ジャズをたのしむ本』(編・寺山修司、湯川れい子)でした。
和田が装丁をする時は必ず原稿を読むのは、文章の中に装丁のヒントになる要素が含まれているからです。時には、自身のイラストレーションを使用しない場合もあります。
「装丁」
和田自身による書き文字は、和田による装丁の特長といえます。和田の書き文字は、映画のタイトルバックやポスター、レコードジャケットに使用されたロゴタイプを参考につくられており、通称「和田文字」と呼ばれます。
そのスタイルは多種多様ですが、いずれも可読性が高く、味わい深いものばかり。もちろん、作品との親和性も考慮しています。
「装丁に見る和田文字」
和田は映画ファンではありますが、自身が監督をするとは考えていませんでした。
角川春樹との会話がきっかけで『麻雀放浪記』を書くこととなり、監督も勧められるハメに。さすがの和田も1週間悩んだそうですが、最終的に受諾。戦後の混乱期を描くモノクロームの画面、高品格や大竹しのぶの名演技もあり、高く評価されました。
「映画監督」
和田は大学3年生の時に日宣美賞を受賞したことがきっかけで、東芝のテレビコマーシャルに関わり、以後、NHKでは「誰も知らない」(初回放送)をはじめとした『みんなのうた』や、子ども番組の『したきりすずめ』のアニメーションなどを制作しました。
1981年から1995年まで使われた、フジテレビ「ゴールデン洋画劇場」のタイトルアニメーションも、中年以上の人にとっては記憶に残っていると思います。
「アニメーション」
会場で紹介されている資料は、なんと約2,800点。文字通り、和田ワールドに溢れた会場です。エリック・カール展(PLAY! MUSEUM)などを手がけた建築家の張替那麻(Harikae)による展示構成も見ものです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年10月20日 ]