一般的なミュージアムとは異なりますが、後世に伝えるべき文化遺産なのでミュージアムに近い存在でしょう。
世界遺産に登録される前から憧れていた長崎県の軍艦島に初めて行ってきました。
水上に浮かぶ要塞のようにも見えます
軍艦島の正式名称は端島(はしま)。明治から昭和にかけて海底炭鉱で栄えましたが、炭鉱の閉山にともなって無人島になりました。
2015年には軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録。上陸するには、船会社が運行するツアーに参加する必要があり、私は5つのツアーから、軍艦島クルーズ株式会社のツアーを選びました。
船は「ブラックダイヤモンド」、オレンジと黒で目立ちます
元船桟橋の事務所で受付を済ませて乗船。天気が良かったので、2階のオープンデッキに乗りました。
席は自由席。事前にネットでチェックしたところ、右の方がドッグや島がたくさん見えて良いとあったので、右側に陣取ったところ、正解でした。
ドックに係留されていた護衛艦も見えました
軍艦島クルーズ(株)のツアーは、軍艦島の前に高島に上陸するのが特徴のひとつです。高島もかつて炭鉱で栄えた島で、こちらも世界遺産に登録されています(ただし、高島は今でも住人が住んでいます)。
高島には石炭資料館があり、その前には軍艦島の模型が。ガイドさんが島の歴史や見どころについて説明してくれます。
ただ、模型は屋外なので、かなり蚊にやられました。夏に行く方は、虫除け対策をお忘れなく。
軍艦島の模型
石炭資料館
高島炭鉱も端島炭鉱も、最盛期を担っていたのは三菱財閥です。2001年まで軍艦島全体が三菱の私有地でした。
端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに、エネルギー面で日本の近代化を支えてきました。
石炭資料館近くに立つのは、三菱を創業した岩崎弥太郎像。凛々しい姿は、長崎出身の彫刻家で日展などで活躍した山崎和國氏による制作です。
岩崎弥太郎像
ふたたびフェリーに乗って、いよいよ軍艦島へ。近づくと、その威容さに圧倒されます。
かなり近づいてきました
まずは軍艦島をフェリーで一周します。安全面での配慮から、軍艦島に上陸した後も島内を歩ける場所は南東エリアの一部のみのため、他の場所は船からの見学になります。
ちなみに、軍艦らしく見えるシルエットは、この北側からの眺めです。
軍艦「土佐」に似ている事から、軍艦島と呼ばれるようになりました
島には大小の建物が残りますが、文字通り廃墟そのもの。石炭資料館前の解説をきちんと聞いておけば、どの建物が何なのかも分かり、より深く楽しめると思います。
最盛期には5,000人以上が住み、人口密度は東京の9倍以上と言われました
軍艦島に上陸するのは天候などの安全基準があり、出航しても上陸出来ない場合もあります。
私もツアーを事前に予約しておいたのですが、台風による高波で、見学施設内の連絡橋などが破損し、復旧まで上陸出来ない、という残念な連絡が入りました(その場合は軍艦島の周りの周遊になります)。
旅行の日程もあるので仕方ないかな、と諦めていたところ、なんとツアー前日に工事が終了! 滑り込みで上陸できました。
ドルフィン桟橋から上陸します
上陸後は三カ所の見学広場があり、スタッフの案内を受けながら進みます。高島には猫がたくさんいましたが、軍艦島にいる動物は虫や鳥ぐらいと聞きました。
第1見学広場
ひときわ目立つレンガの壁は、端島炭坑の中枢だった総合事務所の跡。三菱の力を誇示するような、立派な建物だったそうです。
総合事務所跡
奥まで進むと、こんな感じです。コンクリートが経年で劣化していく状態を確認できるのは建築学的にも貴重で、建築関係者からも注目を集めているそうです。
第2見学広場から第3見学広場にかけての見学通路から
奥の建物が、大正5年建築の日本の鉄筋アパートの最長老である30号棟。よく見ると、鉄筋だけで吊り下がったコンクリート壁があります。
次に来る機会があったら、すでに落下しているかもしれません。
奥が7階建ての30号棟
印象深かったのが、この第二竪坑入坑桟橋です。残っている階段をよく見ると、階段の蹴込み板(段と段の間の垂直部分の板)が、黒く変色しています。
これは、地底から帰ってきた炭鉱労働者が、靴底についた石炭を落とした跡。坑内で亡くなる人も多かったという苛酷な労働環境でした。
第二竪坑入坑桟橋
きれいごとだけではすまなかった、黎明期の近代日本。その痕跡を見る事ができる、とても貴重な場所です。緊急事態宣言の解除を待って、ぜひ一度、足を運んでいただければと思います。
動画もまとめましたので、ご覧ください。
[ 取材・撮影・文:M.F. / 2021年7月31日 ]
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