1万年以上続いた縄文時代の人々の暮らしは、どのようなものだったのか。東京に生きた縄文人の姿に焦点を当てた展覧会が江戸東京博物館で開催中です。

江戸東京博物館 入口
入口で出迎えてくれるのは、縄文時代中期前半の大型土偶「多摩ニュータウンのビーナス」。 光沢を帯びた表面と、目の下の2本の沈線などが特徴の、約5,380~5,320年前に作られたとされる土偶です。2009年には、イギリス・大英博物館での「土偶 The Power of DOGU」でも展示された逸品です。

多摩ニュータウンのビーナス(土偶) 多摩ニュータウン№ 471遺跡出土 縄文時代中期 東京都教育委員会蔵
4章立てとなっている第1章は、東京の遺跡発掘の中から、7つの遺跡を紹介する「東京の縄文遺跡発掘史」。 明治時代にエドワード・モースにより発掘された「大森貝塚」は一般的にも有名ですが、大正・昭和にかけても様々な地域での調査が行われました。 戦後には、大規模なニュータウン事業や高速道路、鉄道の工事により、遺跡の調査は増大します。

荒川区日暮里延命院貝塚
遺跡からは、島や海岸、山地など様々な地形に応じて異なる生活をしていたことを感じることができます。縄文中期の拠点的な集落である町田市の忠生遺跡や青梅市の駒木野遺跡では、装飾豊かな造形美を感じることができる土器が残されています。

町田市忠生遺跡
2章は、集落や墓、土器を視点として縄文を紹介する「縄文時代の東京を考える」。長い間発掘した成果をもとに、その調査結果を示しています。
土器の主な機能は「煮る」「貯める」「盛る」ですが、各時代で変化していきます。土器を墓に入れる習慣ができた縄文後期の南西関東地方では、数多くの副葬例が確認されています。深鉢や注口土器、壺など、副葬のため小振りな土器が特徴です。

2章「縄文時代の東京を考える」
草創期では、器を完成させるために試行錯誤を繰り返しますが、前期になると文様を付けて変化に富みます。また、中期には大型化が進み、後期~晩期になると日用と特別用と用途を多様化するなど、石器や土器から移り変わりを感じることのできる展示になっています。

2章「縄文時代の東京を考える
3章の「縄文人の暮らし」は縄文人たちがどのように暮らしてきたのか、海岸部と丘陵部の遺跡をビジュアルで分かる紹介をしています。
先ず紹介するのは海岸部の遺跡、直径が70センチを超えるムクノキからつくられた丸木舟です。現存の長さが約5.8メートルに及ぶ丸木舟は、船底の厚さや内部の深さから、制作技術の発達もうかがうことができます。

第3章 縄文人の暮らし 「丸木舟」 中里遺跡出土 縄文時代中期 北区飛鳥山博物館
一方、丘陵部の遺跡の紹介として集落の景観を再現した「縄文のムラ」を再現。縄文時代中期の環状集落(多摩ニュータウンNo107遺跡)をモデルとした1/20復元模型です。

第3章 縄文人の暮らし 「縄文のムラ」
会場には、生命の誕生や信仰、豊かな社会への祈りなど、それぞれのムラの社会的背景によって様々な願いが込められた土偶も展示しています。 101点もの土偶が出土した多摩ニュータウンNo.9遺跡のほか、ほぼ完形に縄文時代後期のハート型土偶など、東京の多彩な土偶100点が並んでいます。

第3章 縄文人の暮らし 東京の縄文土器100
4章は「考古学の未来」。 発掘調査や研究の成果は、市民が参加し体験できるように広く公開する必要があります。ここでは、堆積した貝塚の断面をはぎ取ったものも展示。通常、写真や図面による記録保存が一般的ですが、実際の貝塚を見ることで、堆積状況や質感を感じることができます。

「貝層剥ぎ取り標本」品川区居木橋貝塚 品川区教育委員会
会場の最後に展示された、長野県茅野市が所蔵する国宝の土偶も見逃せません。縄文時代中期に作られたと考えられている「縄文のビーナス」(展示終了)は、破損が少なくほぼ完形で出土しています。会期の後期は「仮面の女神」(展示期間:11/16~12/5)をお楽しみいただけます。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2021年10月8日 ]