西洋美術にくらべてむずかしい、またはなんとなく敷居が高いと感じられる事も多い日本の古美術について、初心者でも分かりやすい平易な解説で見どころを紹介する、根津美術館の「はじめての古美術鑑賞」シリーズ。
5回目となる今回は、絵画の主要なテーマの一つである人物画について。信仰の対象になった人、権力者、市井の人々など、さまざまな人物表現を展観します。

根津美術館前の案内
展覧会のスタートは「聖なる人びと」から。あまり知られていませんが、古代の日本では、実在の人物を描くことは忌避されていました。例外といえるのが、仏教の祖師や祭神となった公家や武家、そして歌仙など。いずれも聖なる人物として祀られた人びとです。
四条派の祖・呉春(1752~1811)が坂上田村麻呂を描いた作品は、初公開です。田村麻呂は蝦夷征討で大功を挙げ、のちに武神として崇められました。

呉春筆 村瀬栲亭賛《坂上田村麻呂像》江戸時代 文化7年(1810)福島静子氏寄贈 根津美術館蔵
続いて「物語の人物表現」。王朝文学を題材にした初期の物語絵巻では、人物は目を細い線で、鼻を同じく細い鉤状の線で描く「引目鉤鼻」で描かれました。その伝統は、後のやまと絵の絵師たちにも引き継がれています。
《源氏物語画帖》では多くの人物の顔が、伝統的な引目鉤鼻です。容貌の類型化により、人物は普遍的となり、聖性や高貴さも表われています。

伝 土佐光元筆《源氏物語画帖》桃山~江戸時代 16~17世紀 福島静子氏寄贈 根津美術館蔵
次は「高貴な人びと」。人物画に対する忌避感が薄まると、徐々に生存する高貴な人びとの姿が描かれるようになります。
似絵(にせえ)は、像主の容貌を写実的に表した肖像画で、理想化を行わないのが特徴です。《承安五節絵模本》は、承安元年(1171)に宮中で行われた五節舞の行事を描いた絵巻の模本で、背中を見せている公卿が振り向いて顔を見せているので、容貌を描き分ける事が目的だったと思われます。

住吉如慶筆《承安五節絵模本》(部分)江戸時代 17世紀 個人蔵
続いて「異国の人びと」。中世に入り大陸との交流が再開すると、さまざまな中国絵画が日本にもたらされます。中国文化が尊ばれ、日本でもそれらを手本にした作品がつくられるようになりました。
奈良時代に中国から伝わった猿曳。《猿曳図屏風》が描かれた桃山時代には、すでに日本にも定着していましたが、為政者階級の屋敷を飾る障屏画であるため、人びとは中国風俗の姿で描かれています。

伝 狩野元信筆《猿曳図屏風》桃山時代 16~17世紀 根津美術館蔵
「素朴な人物表現」には、ユニークな作品が。中世の絵巻物には、正系の絵師の手によらない、おおらかな画風のものが数多く見受けられます。
《幸若舞曲つきしま絵巻》は、平清盛の兵庫築港をめぐる伝説を題材とした舞の本を、絵巻物として描いたにもの。人柱にされる人が投獄される悲惨な場面ですが、なんともゆるい表現。このような作品が後世に伝わっているのも、日本美術の特性といえます。

《幸若舞曲つきしま絵巻》(部分)室町時代 16世紀 根津美術館蔵
「市井の人びと」は、展示室1と2に渡って続きます。近世になると、特別な人ではない一般の庶民を描いた人物画が登場。日常的な場面も描かれるようになり、人物表現は大きく広がっていきました。
円山応挙の《楚蓮香図》は、その香に誘われて、蝶が付いて翔び遊んだとされる、中国の唐時代の美女を描いた作品です。麗しい表情と艶やかなポーズながら、不自然さは感じられず、写生を得意にした応挙の本領発揮といったところです。

(左から)源琦筆《業平舞図》江戸時代 18世紀 根津美術館蔵 / 円山応挙筆《楚蓮香図》江戸時代 寛政6年(1794)個人蔵
最後は「近代の日本画」。近代に入ると狩野派などの絵師集団は衰退しますが、絵師たちは新たな表現技法を模索していきます。
橋本雅邦(1835~1908)も幼少期には狩野派に学びましたが、近代的な西洋画も研究。臨済宗の開祖・臨済義玄が問答の際に一喝する場面を描いた《臨済一喝》にも、動きがある構図などに、西洋画からの影響が見てとれます。

橋本雅邦筆《臨済一喝》明治時代 1897年 個人蔵
「絵画の技法と表現」(2016年)、「紙の装飾」(2017年)、「漆の装飾と技法」(2018年)、「絵画のテーマ」(2019年)と、いつも楽しく日本美術を紹介してくれる「はじめての古美術鑑賞」シリーズ。日本美術のいろはを知らない人でも、肩肘張らずに楽しめる展覧会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年9月10日 ]