戦中・戦後の国民生活の労苦を次世代に伝える国立の施設、昭和館。当時の国民生活の姿を伝えるため、約3,500点のポスターを所蔵しています。
昭和館のポスターコレクションから、デザインの変遷に着目し、昭和期におけるポスター制作とデザイナーの活躍を紹介する展覧会が開催中です。

昭和館「ポスターのちから」会場風景
日本における版画は、江戸時代には浮世絵木版が流行しますが、西洋から文化が流入すると、大判印刷に対応できる石版印刷(リトグラフ)が主流になっていきます。
大正時代になると印刷技術はさらに発達し、日本でもポスター制作が盛んになりました。「此の鍵」も大正時代のポスター。第一次世界大戦後の不況を乗り越えるため、節制を呼びかけています。

(左)「此の鍵」大正12年(1923)
この時代に流行したのが、美人画のようなポスターです。今でも商品広告にアイドルや女優が使われるように、庶民の目を引く美人は普遍的なモチーフといえるかもしれません。
ヒゲタ醤油のポスターに描かれているのは、歌舞伎の演目「艶容女舞姿」の半七女房おその。作者の多田北烏(1889-1948)は人物画を得意とし、多くのポスターを手掛けています。

「ヒゲタ醤油」昭和元-10年(1926-35)デザイン:多田北烏
昭和初期になると、ポスターなど広告物を制作する「商業美術」というジャンルが成立します。また、ポスター制作を担う専門職として、図案家(デザイナー)が誕生しました。
この分野の先駆けといえるのが、杉浦非水(1876-1965)です。三越呉服店の図案部で活躍した後、退職後はさまざまなジャンルのポスターを手がけました。「みのり」は新発売のタバコで、シルエットのデザインはモダンな印象です。

「みのり」昭和5年(1930)デザイン:杉浦非水
戦時体制の強化が進むと、ポスターは軍部に利用される事になります。ドイツのプロパガンダを参考に、陸軍はポスターによる国策宣伝を進めていきました。
「想ひ起こす二十五年前」は、第25回陸軍記念日ポスターです。日露戦争の奉天会戦に勝利した3月10日が、陸軍記念日です。

(左から)「三月十日陸軍記念日」昭和9年(1934) / 「想ひ起こす二十五年前」昭和5年(1930)画:今村嘉男吉
昭和12年(1937)に日中戦争が勃発すると、国策ポスターの制作はさらに盛んになります。
「貯蓄スルダケ強クナル オ国モ家モ」は、大蔵省による国民貯蓄運動のポスター。目的は戦費調達です。

(右)「貯蓄スルダケ強クナル オ国モ家モ」昭和17年(1942)デザイン:髙橋春人、山名文夫
商業活動が縮小するなか、デザイナーたちも国策宣伝のための組織に加わっていきました。
山名文夫らが参加した報道技術研究会が作ったのが「おねがひです。隊長殿、あの旗を射たせて下さいッ!」。、太平洋戦争開戦一周年を記念したポスターです。
「この地球上から米國旗と英國旗の影が一本もなくなるまで 撃って撃って撃ちのめす」と、激しい檄文が書かれています。

(左から)「おねがひです。隊長殿、あの旗を射たせて下さいッ!」昭和17年(1942)レイアウト:山名文夫、挿絵:栗田次郎、作字:岩本守彦 / 「第三回航空日」昭和17年(1942)
勇ましい宣伝も虚しく、焦土と化した日本。戦争遂行の片棒を担いだポスターですが、復興の道のりを示したのも、またポスターでした。
「着替へモナイ引揚者ニ衣類ヲ.」は、着の身着のままで日本に帰国した、600万人超の引揚者への支援を呼びかけるもの。多くのポスターで共同募金も呼びかけられました。

(左から)「平和記念定額郵便貯金」昭和26年(1951)デザイン:杉浦非水 / 「着替へモナイ引揚者ニ衣類ヲ.」昭和20年(1945)デザイン:山名文夫
昭和22年(1947)には青果・酒類の配給が撤廃。経済統制は緩和され、少しずつではありますが、商業ポスターも復活してきます。
「マジック洗濯機」は手動で混ぜて洗う洗濯機です。「黒龍」は薬効クリームで、ポスターには人気女優の原節子や山本富士子が起用されていました。

(左から)「マジック洗濯機」昭和30年代前半 / 「黒龍」昭和29年(1954)頃
そして、最後のコーナーで展示されているのが、昭和39年(1964)に開催されたオリンピック東京大会と東京パラリンピックのポスター。世界中の人の目にふれたポスターは、日本の復興を国際社会に印象づけました。
亀倉雄策(1915-1997)によるオリンピック東京大会のポスターは、日本グラフィックデザイン史に残る傑作と名高く、他の展覧会でもしばしば出ていますが、本展最大の注目が、東京パラリンピックの海外用公式ポスター。日の丸をつけた選手が車椅子でアーチェリーを引くポスター(一般用公式ポスター)は知られていましたが、背景がピンク色のこのポスターは、近年になって発見され、展覧会では初公開となります。
デザインを手がけた髙橋春人(1914-1998)は、戦前から戦後まで多くのポスターデザインで活躍しました。東京パラリンピックでは、運営委員会にアートディレクターとして参加、デザイン全般に関わっています。

(左右とも)「PARALYMPIC TOKYO 1964」昭和37年(1962)デザイン:髙橋春人
それほど広くない展示室ですが、充実のコレクションから厳選されたポスターは魅力たっぷりです。7~6階の常設展示室にも、さまざまな実物資料とともにポスター類も数多く展示されているので、あわせてご覧ください(企画展は無料、常設展は有料です)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年7月16日 ]