開幕まであとわずかとなった、東京2020オリンピック・パラリンピック。東京国立博物館と秩父宮記念スポーツ博物館が所蔵する美術工芸品や近現代スポーツ資料を通して、日本におけるスポーツの歴史と文化を紹介する企画展が、東京国立博物館で開催中です。

東京国立博物館 平成館 企画展示室「スポーツ NIPPON」会場入口
展覧会は2章構成で、第1章は「美術工芸にみる日本スポーツの源流」。日本スポーツの歴史として、貴族の宮廷行事、武士の武芸、庶民の遊戯などに目を向けていきます。
まずは相撲から。土俵で力士が組み合って戦う、日本の伝統的な格闘技です。古墳時代には力士や相撲をあらわした埴輪や土器がつくられ、相撲の原形とされる野見宿禰と当麻蹴速の力比べは『日本書紀』に記されています。
鎌倉時代以降は武芸の鍛錬として、江戸時代には見世物やスポーツとしての性格を強めていきました。

(左手前)《武家相撲絵巻(模本)》三村晴山、井上昆得、岩崎信盈模 江戸時代・天保11年(1840)東京国立博物館[原本 狩野山雪筆 江戸時代・17世紀][展示期間:7/13~8/15] / (右奥)《子持装飾付脚付壺》岡山県瀬戸内市牛窓町槌ヶ岳出土 古墳時代・6世紀 東京国立博物館
次は蹴鞠。革製の鞠を蹴り上げて、地面に落とさないよう数人で受け渡していく遊戯です。
勝ち負けを競うものではなく、蹴り方や動きの優雅さを楽しむもので、平安時代に貴族の間で広まり、鎌倉時代には和歌や茶の湯などとともに、武士のたしなみとされました。

(上)《鞠装束 紅遠菱紋》江戸時代・19世紀 東京国立博物館 / (下左)《蹴鞠》江戸時代・19世紀 東京国立博物館 / (下右)《鞠靴》関保之助氏寄贈 江戸時代・19世紀 東京国立博物館
江戸の町人文化を代表する浮世絵にも、スポーツが描かれました。興行として人気を博した相撲は主要な画題になったほか、さまざまな文化や習俗、武芸に秀でた歴史的人物などを描いた浮世絵の中にも、現代のスポーツに通じる場面が見て取れます。
追羽子(羽つき)は、羽子板で羽根を打ち合う遊びで、ルールこそ違うものの、バドミントンのよう。弁慶が大鐘を背負う姿は、ウェイトリフティングを彷彿させます。

(左から)《追羽子》石川豊信筆 江戸時代・18世紀 東京国立博物館[展示期間:7/13~8/15] / 《其面影程能写絵 弁けい》歌川国芳筆 江戸時代・19世紀 東京国立博物館[展示期間:7/13~8/15]
第2章は「近現代の日本スポーツとオリンピック」。明治以降、「スポーツ」という概念が流入。オリンピックは日本にスポーツを普及・啓発する上で重要な役割を果たしました。
大正後期から昭和初期は、戦前におけるスポーツ全盛の時代です。1924(大正13)年には東京オリンピック大会開催を想定し、明治神宮外苑競技場が整備。
1932年ロサンゼルス大会では、日本は水泳で男子6種目中5種目で金メダルを獲得しました。

(左から)《1932年ロサンゼルス大会 日本代表水着》昭和7年(1932)秩父宮記念スポーツ博物館 / 《三島弥彦 陸上ユニフォーム》明治45年(1912)秩父宮記念スポーツ博物館
幻となった1940年東京大会以来、東京でのオリンピック開催は日本の悲願でした。
敗戦後、あらためて東京大会の実現をめざし、懸命な招致活動の末に、ついに1959(昭和34)年のIOC総会で1964年大会の開催地として選出。1964(昭和39)年10月10日、アジアで初めてのオリンピックが開会しました。
参加国は過去最高となる94か国。柔道とバレーボールはこの大会から正式競技に加わりました。

(左から)《1964年東京大会 日本選手団デレゲーションユニフォーム(小野喬着用)》昭和39年(1964)秩父宮記念スポーツ博物館 / 《1964年東京大会 聖火ランナー用シャツ、パンツ(男性用)》昭和39年(1964)秩父宮記念スポーツ博物館
近代オリンピックではスポーツだけでなく、芸術分野も活性化されてきました。
大会運営そのものに芸術家やデザイナーが関与するようになり、1964年東京大会では勝見勝を座長にしたデザイン懇談会が発足。大会の統一デザインをリードしました。
ポスターは亀倉雄策が担当。シンボルマークを用いた1号ポスターのほか、全面写真による3種のグラビア多色刷公式ポスターを発表し、話題になりました。

《1964年東京大会 公式ポスター》(左から)[2号]昭和37年(1962) / [1号]昭和36年(1961) / [3号]昭和38年(1963) / [4号]昭和39年(1964)すべて秩父宮記念スポーツ博物館
1964年東京、1972年札幌、1998年長野に続き、日本では夏と冬を合わせて4度目の開催となる東京2020オリンピック・パラリンピック。
未曾有の困難の中での開催となりますが、世界最大のスポーツと文化の祭典は、後に振り返るとどのような位置付けになるのでしょうか。