世界的な人気がありマルチな才能を発揮したマン・レイ。作品には、多くの女性が登場します。
展覧会の構成は、マン・レイの生涯を活動場所によって4つの時代に分け、緯糸に時間軸、横糸には彼の創作に影響を与え、ミューズとなった女性たちを絡めています。彼の才能は多岐に渡り、絵画、彫刻、オブジェなど、大胆で優美、独創性豊かです。その万能ぶりを紹介します。
会場風景
多彩な交友関係
1915年、ニューヨークで、マン・レイはマルセル・デュシャンと出会い、ニューヨーク・ダダの推進者の一人となります。
レディーメイドを提唱したデュシャンの作品《階段を降りる女》を撮影(写真右)し、またデュシャンが女装した架空の女性、ローズ・セラヴィを残しました(写真左)。デュシャンは無二の親友で、女装姿を見せたのはマン・レイだけでした。
Ⅰ‐2 ダダ時代の作品
1921年、アメリカからモンパルナスに移り住み、社交界、芸術界との接点が増えます。その仲介役がジャン・コクトーでした(写真左)。友人の芸人バルベッドの撮影を依頼し、女装の過程を記録しました(写真右2枚)。彼が撮影したポートレートは、彼の「交友録」そのものと言えます。
Ⅱ‐7 社交界・芸術界・モンパルナス
アートとモードの出会い
1920年代、パリではモードの撮影も手掛け、マン・レイを撮影する斬新な写真はモードとアートの境界を曖昧にしました。芸術家として認知されるようになり、モード界には颯爽とココ・シャネルが登場。自由で自立した女性たちを鼓舞するデザインのドレスを制作。
Ⅱ‐8 ファッションと写真 シャネルのドレス
彼女は、マン・レイのアートも理解し、擁護者でもありました。シャネルはマン・レイも鼓舞していたのかもしれません。
万能の人の手が作り出すオブジェ
1930年代後半になると、『自由な手』を手描きデッサンしました。フリーハンドで線を引く行為や自由な行動は、マン・レイの象徴的・理想的な自画像と読めます。
Ⅱ-11 マンレイの「自由な手」 デッサン
さらにデッサンをもとにブロンズ彫刻の連作も制作します。女性の裸体も立体化することで別種の表情と質感を帯びてきました。
Ⅱ-11 マン・レイの「自由な手」 ブロンズ彫刻
再びパリにもどったマン・レイが制作したオブジェは、身近な日用品を用いています。中央の《ベシャージュ》は、桃・雲・風景の語呂合わせで、三美神を表現。桃は裸体写真《祈り》を想起させられます。
Ⅳ‐15 アートのなかの女性像 (左から2番目)《ペシャージュ》
マン・レイとは誰か?
自らを「万能の人」と呼びながらも、本名や出自は語らず謎の人でした。亡くなる2年前、布に包んで紐で縛ったオブジェを制作。これは1920年にも制作され、作家ロートモレアン伯爵による「マルドロー・ルの歌」の一説から想起されました。
詩から中はミシンと雨傘と考えられましたが中身はミシンだけという謎。また作家をマン・レイの分身と考えると、作品タイトルに作家の本名イジドール・デュカスを用いたことも謎です。
Ⅳ‐17 マン・レイとは誰だったのか? 《イジドール・デュカスの謎》
自身の存在を世に問い直し、自分自身にも問い続けていたのでしょうか?あるいは没後も人々の中で考え続けられる存在でありたいと願ったのかもしれません。
マン・レイとは誰か? 美とは何か? 親友のデュシャンとともに今も語りかけ考えさせられます。
[ 取材・撮影・文:コロコロ / 2021年7月12日 ]
読者レポーター募集中!あなたの目線でミュージアムや展覧会をレポートしてみませんか?