
高鳳翰「山水花卉図冊」(前期展示)
大阪市立美術館で「揚州八怪(ようしゅうはっかい)」展が、開かれています。大阪市立美術館では、1969年以来、52年ぶりの開催です。
国内に収蔵される関係作品を含めた73件と、上海博物館の協力のもと、精細な画像によってい八怪の名品を補い、揚州八怪の全容に迫ります。「揚州八怪とは?」彼らの芸術の本質、全容が明らかにされるまたとない機会です。
揚州八怪が花開いたのは必然!
都市の繁栄が文化を醸成し、芸術の大輪の花を咲かせたのは、世界ではヴェネツィア、国内に目を転じれば大阪など、枚挙にいとまがありませんが、中国の揚州もその例にもれません。
古来より主要な都市として栄えていた揚州は、清の時代、塩商の活躍で活況を呈しました。巨富を手にした塩商たちによって、多くの文化サロンが形成され、さまざまな芸術が花開きました。

袁耀「真山水図軸」
二幅からなる作品ですが、前・後期によって入れ替えがあります。
揚州八怪へつながる系譜
清時代18世紀に、揚州という都市を舞台に、先進的で個性あふれる創作を行った揚州八怪が登場する前夜、彼らの先駆けとなる芸術家たちの活躍がありました。揚州八怪の芸術が、突如出現したのではなく、先の時代からつながる萌芽を見ることができます。
この瑞々しく、鮮やかな花の絵は、彩色の濃淡、ぼかしやにじみなどによって生命感あふれ、見るものを魅了します。

惲寿平「花卉図 木蓮・木瓜」(前期展示)
書においても、奇抜で清新な書風が、揚州八怪の金農らに受け継がれ、更なる大輪を花開くことになります。

傳山「篆書燕文貴江山楼観図題字」(前期展示)
揚州八怪を「怪」たらしめている豊かな個性と先進的な表現
「怪」といえば、日本人的な感覚からすれば、「怪しい」「化け物」などの意味にとりますが、「八怪」の「怪」は、「並外れて素晴らしい」というポジティブな意味で使われています。
ただ、同時代にそう呼ばれたのではなく、後世の批評家が清代中期の揚州の芸術を語る際、特に優れたものを8人選んで「八怪」と呼びましたが、誰を8人とするかは、批評家によって微妙に異なり、諸説をあわせるとだいたい15人ぐらいになります。
揚州八怪を代表する李鱓は、本格的な画技によって躍動感あふれる、花卉・竹石・松柏などを得意としました。

李鱓「風荷図」
汪士慎もまた、揚州八怪を代表する一人です。梅花を好んで描きましたが、54歳の時に失明します。しかし、制作意欲は衰えることなく、最も愛した梅花を描き続けました。12面からなる梅花図は、彼の梅へのひとかたならぬ思いを表しつくしています。

汪士慎「梅花図」(前期展示)
揚州八怪に連なるもの
揚州八怪を揚州八怪たらしめたのは、彼らの芸術を理解し、高く評価した文化人がいたからに他なりません。当代きっての文化人たちを通して、揚州八怪の芸術は広がり、現代にまで脈々と継承されています。
展覧会の最後を飾る大作は、力強く、写実性豊かで、見るものに迫ります。この画法は、次の時代の斉白石らに継承されていきます。

趙之謙「四時果実図」(前期展示)
墨たっぷりで描く蓮とその根元で泳ぐ小さな魚2匹の対比がとてもおもしろい、近現代の画家、斉白石の絵にも揚州八怪に通じるものがあります。

斉白石「紅蓮游魚図」(前期展示)
昨年の8月~10月にかけて開催予定だった「揚州八怪」展は、新型コロナウイルスの感染拡大で、ほぼ一年遅れでの開催となりました。
満を持しての開催です。存分に楽しめます。
[ 取材・撮影・文:atsuko.s / 2021年4月16日 ]
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