展覧会は5章構成。1~3章までは年代順です。
1章は「兵士のまなざし 刻み込んだ記憶 1951-1954年」。浜田は東京美術学校卒業後に応召され、中国大陸へ。野蛮な軍隊で想像を絶する日々を重ね、戦後にその想いをぶつけた作品が『初年兵哀歌』シリーズです。
作品は、美術家の視線をもちながら、加害性に強く迫っている事が大きな特徴です。冷たくシャープな銅版画で描かれたのは、打ち捨てられた屍体など。発表当初から注目を集め、高く評価されました。
2章は「社会へのまなざし 「見えない戦争」を描く 1956-1974年」。もはや戦後ではないと言われた50年後半にも、浜田は日本の再軍備化を揶揄。評論家に踊られる当時の美術界を皮肉った作品も作っています。
1章~2章3章は「人へのまなざし 愛しいかたち 1974-2002年」。この時代には個々の人間にフォーカスした作品を手掛けました。眼を悪くした事からノイローゼになりましたが、落ち込んだ気分もコミカルな姿で表現するなど、それまでのシニカルな作品とは違った一面も見せています。
1980年代からは立体作品も制作。こちらもユーモラスな作品が並びます。彫刻は90代後半になってからも手掛けており、もうひとつの浜田の柱といえます。
3章4章「新しい表現を求めて 1950年代の銅版画表現」と5章「記憶をつなぐ 時代を見つめつづけて」では、浜田以外の作品も紹介。関野凖一郎、駒井哲郎、瑛九、浜口陽三、加納光於、池田満寿夫、北岡文雄、利根山光人、太田三郎の版画が並びます。
4章には『初年兵哀歌』に至る前の作品も。浜田が銅版画に本格的に取り組み始めたのは1950年代。当時は銅版画は新しいメディアで、浜田も様々な実験を重ねながら技術を習得していきました。
会場最後には、1978年に四半世紀ぶりに取り組んだ『初年兵哀歌』作品も展示。社会と人間を鋭く見つめる視線を持ち続けています。
4章~5章5章で紹介されている《ボタン(A)》は、核戦争を風刺した作品。核の脅威もさることながら、上長の意思を受けて盲目的に行動する部下の姿は、例の公文書問題をトレースしているかのようです。
本展は、2016年にコレクターから
町田市立国際版画美術館に寄贈された作品のお披露目として開催されている企画。派手な宣伝をしている展覧会ではありませんが、ひとつひとつ の作品に、じっくり向き合っていただければと思います。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年3月13日 ]■浜田知明 100年のまなざし に関するツイート