銀座ハリウッドをはじめ、全国に44店舗のキャバレーを展開し「キャバレー王」の異名をとった福富太郎(本名:中村勇志智 1931~2018)。自らの審美眼で築いた、他に類をみないコレクションを紹介する展覧会が、東京ステーションギャラリーで開催中です。
会場の東京ステーションギャラリー
展覧会は、福富のコレクションの原点といえる鏑木清方から始まります。
戦時中に空襲で自宅を失った福富。その時、福富の父が大切にしていた鏑木清方の掛軸を持ち出すことができませんでした。この経験が、後の蒐集の原点になりました。
1964年頃から清方作品を本格的に蒐集。《妖魚》は清方としては珍しい裸婦の作品です。第2回帝展への出品では賛否両論となり、清方自身も失敗作としていますが、大胆な色彩と小魚を手に持つ人魚の表情は、妖しい魅力を放っています。
(左から)鏑木清方《銀世界》1924年 / 鏑木清方《妖魚》1920年 ©Akio Nemoto 2021/JAA2100015
福富コレクションの核といえるのが、近代日本画の女性像です。
昨今、急激に注目度が高まっている渡辺省亭にも、早くから目をつけていた福富。渡辺省亭の《塩冶高貞妻浴後図》を画商で見た際には、「軸がほどけて輝くばかりに白い裸身が現れたときは、ドキリと心が揺れた」と振り返っています。
この作品は、省亭の師である菊池容斎の『前賢故実』がベースになっています。日本の歴史上の人物を視覚化した『前賢故実』は、歴史画のバイブルといえる存在。容斎による《塩冶高貞妻出浴之図》は、『前賢故実』を自身で絵画化した作品です。
(左から)渡辺省亭《塩冶高貞妻浴後図》1892頃 / 菊池容斎《塩冶高貞妻出浴之図》1842
典型的な江戸っ子といえる福富ですが、関西の画家の作品も蒐集しています。
中でも重要な作品が、北野恒富の《道行》。近松門左衛門の『心中天網島』で、道ならぬ恋に身を捧げた二人が、死に追いやられる場面を描きました。うつろな表情の男女は「画壇の悪魔派」と称された恒富ならではの描写です。
江戸時代から続く歌舞伎や日本舞踊の演目を取り上げたのが、寺島紫明《鷺娘》。白無垢姿の娘は鷺の化身で、こちらも叶わぬ恋に悩む物語です。
(左から)北野恒富《道行》1913頃 / 寺島紫明《鷺娘》1938
ここまでは、いわばよく知られた福富コレクション。福富が日本画の女性像を愛した事は間違いありませんが、実は洋画も数多く蒐集しています。
川村清雄の《蛟龍天に昇る》は、明治の洋画黎明期を代表する作品のひとつ。龍の頭部は馬の頭を皮剥にしたものをモデルとし、角は鹿、爪は鷲、背の棘は栄螺、胴体は蛇を参考にしたと伝わります。
勝海舟の援助を受け、邸内に画室を設けていた川村。海舟はこの作品を百円で買いとり、客間に飾っていました。
(左から)川村清雄《蛟龍天に昇る》1891頃 / 中村不折《落椿》1912
佐伯祐三は、30歳での悲劇的な死も含め、高い人気を誇る日本人洋画家です。《婦人像》は渡仏前の作品で、温かい色彩や柔らかなタッチはこの時期の特徴です。
小磯良平は、東京美術学校在学中から帝展特選という天才画家。同校を首席で卒業、渡欧して西洋絵画の薫陶を受け、帰国後は都会的な女性像を数多く描きました。展示されている《婦人像》も、素早い筆致で見事に対象を捉えています。
(左から)小磯良平《婦人像》1967頃 / 佐伯祐三《婦人像》1922
展覧会の最後は戦争画です。幼少期に大戦を経験した福富は、戦争画も熱心に蒐集しました。福富の没後に約100点が東京都現代美術館に寄贈されましたが、戦争画の周辺といえる作品が現在でもコレクションに残されています。
満谷国四郎の《軍人の妻》は、福富も思い入れが深かった作品。制作直後にアメリカに渡ったものが1990年にオークションに出され、福富が落札しました。喪服姿で遺品を見つめる婦人は、日露戦争の未亡人。よく見ると、右目に涙が描かれています。
(右)満谷国四郎《軍人の妻》1904
展覧会は、生前の福富と深い交遊があった美術史家・明治学院大学教授の山下裕二氏が監修しました。権威にとらわれず、自分の眼だけを信じた福富。ユニークなコレクションの全容を、お楽しみください。
展覧会は東京展を皮切りに、新潟、大阪、高知、富山、岩手と巡回予定。会場と会期はこちらをご覧ください。
※作品は全て福富太郎コレクション資料室蔵
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年4月23日 ]