歪められた人物像など、不穏な雰囲気をまとった絵画で知られるイギリスの画家、フランシス・ベーコン(1909−1992)。
生前のベーコンは、準備のためのドローイングやスケッチはしない、と語っていましたが、その説明と相反するような作品・資料が日本で初公開される注目の展覧会が、渋谷区立松濤美術館で開催中です。(4/27~5/11は臨時休館中)
渋谷区立松濤美術館「― リース・ミューズ7番地、アトリエからのドローイング、ドキュメント ― フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる」展 会場入口
展示されているのは、バリー・ジュール・コレクション約130点。ベーコンの晩年に身の回りの仕事を頼まれていた隣人のバリー・ジュール氏が、画家から渡されていたというドキュメントの一部です。
まずはドローイング集「Xアルバム」。その名は、写真用だった古いアルバムの表紙に「X」のマークが描かれている事に由来します。
切り離されたとみられる68枚のうち57枚と表紙はテート・ギャラリーに寄贈。本展では残る11枚が展示されています。
「Xアルバム」
作品はすべて両面に絵があり、なかにはベーコンによる油彩6点の連作《ファン・ゴッホの肖像のための習作》に関連すると思われるファン・ゴッホのイメージも。
ただ、Xアルバムのドローイングが、油彩画の準備段階なのか、完成後に画面を再現したものか、あるいは全く独立の画面として構成されたのかなどは、まだ良くわかっていません。
さらに、1950年代に画家の恋人だっピーター・レイシーは、自分がスクラッチ(ひっかき傷)をつけたことがある、とも語っています。これらに画家以外の人物が関わっている可能性もあるなど、ミステリアスなイメージは深まるばかりです。
フランシス・ベーコン《Xアルバム6表 ― ファン・ゴッホ・シリーズ》1950年代後半~1960年代前半 ©The Barry Joule Collection
続いて、画家が活動した時代の著名人を元にした作品。ベーコンは「人」に強い関心を持っていた事は、ここで紹介されている作品からも良く分かります。
作品の多くは、雑誌や新聞などに掲載された著名人。エルヴィス・プレスリー、ミック・ジャガー、グレタ・ガルボ、ジェレミー・アイアンズなどのミュージシャンや俳優、ジャン・ポール・ゲッティ、ケネディ三兄弟など、政財界の人物もあります。
これらの写真に、色を塗り重ねたり、周囲に油絵の具や鉛筆またはパステルなどで線が加えたり、鋭利なもので表面を擦り白い描線を刻んだりしたベーコン。図像のどこに関心があったのかも読み取れます。
会場風景
中にはショッキングな題材も。《電気椅子で処刑されるルース・スナイダーの写真》は、死刑を隠し撮りしたもの。1928年、ベーコンが21歳の時の出来事です。
ルース・スナイダーは不倫相手と共謀し、生命保険をかけた夫を、強盗に見せかけて殺害。くるぶしにカメラを隠して撮影されたこの写真は、当時、大きな話題になりました。
(左)フランシス・ベーコン《電気椅子で処刑されるルース・スナイダーの写真(1928年トム・ハワード撮影)上のドローイング》1970年代~1980年代頃 ©The Barry Joule Collection
続いて、人体の筋肉などへの関心について。ベーコンは幼少期から男性への性的指向があり、またそれを隠さずにいました。
このコレクションから、バレエ・ダンサーのルドルフ・ヌレエフに強く惹かれていたことが良くわかります。一方、ヌレエフも以前からベーコンを知っており、画家として尊敬していました。
会場風景 (中央)フランシス・ベーコン《ルドルフ・ヌレエフの写真上のドローイング》1970年代~1980年代頃 ©The Barry Joule Collection
疾走する馬の連続撮影などで知られるエドワード・マイブリッジの写真も、ベーコンのインスピレーションを刺激したようです。
バリー・ジュール・コレクションに含まれているのは、絵葉書が19枚、さらにボール紙に貼り付けて色を加えたものが1点。人体が動く瞬間を切り取ったイメージが、ベーコンの興味をひいたのでしょうか。
フランシス・ベーコン《19枚のエドワード・マイブリッジの連続写真の絵葉書(1986年出版)上のドローイング》1980年代頃 ©The Barry Joule Collection
ベーコンは、美術館にも足繁く通っていました。歴史的な名画にも関心を寄せ、バリー・ジュール・コレクションにはベラスケス、ドガ、ファン・ゴッホなどのほか、古代エジプト美術なども含め、作品の印刷物も残されています。
フランシス・ベーコン《エドガー・ドガ《浴槽》(1886年)および《浴後、体を拭く女》(1892年)の複製画上のドローイング》1970年代~1980年頃 ©The Barry Joule Collection
ベーコンは読書家でもあり、没後のアトリエからはおびただしい数の蔵書が見つかっています。展示されている書籍には、その多くにドローイングなどが描き込まれています。
ベーコンは18歳の時に見たピカソの展覧会に衝撃を受けて画家を志したことを公言していますが、ピカソの大規模展の図録にも、多くの描き込みがあります。
また、アメリカの写真家のリチャード・アヴェドンの写真集には献辞のサインがあることから、もとは写真家からベーコンに贈られたものとわかります。
写真家による献辞のサインが入った、リチャード・アヴェドンの写真集「In the American West」(1985年) ©The Barry Joule Collection
会場最後は、1930年代頃とのものとみられる油彩画。ベーコンは1920年代の終わりから1930年代にかけて、ピカソやシュルレアリスムの影響を受けた水彩画や油彩画を描いていました。
これらは一部で高く評価されていたものの、ベーコンは多くの初期作品を自ら破棄。ベーコン作品のレゾネ(作品総目録)には、初期の油彩画はほとんど掲載されていません。
所有者は、今回展示されている油彩画小品に関して、画家本人から譲渡されたものとしています。
油彩画の数々
その作品はオークションでも高額で売買されるなど、国際的な知名度を誇るベーコン。アジア初の大回顧展として話題になった「フランシス・ベーコン展」(東京国立近代美術館 2013年)は、このコーナーでもご紹介しました。
知られざるベーコンの一面を垣間見るような展覧会。神奈川県立近代美術館 葉山から巡回して、渋谷区立松濤美術館が最終会場です。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年4月21日 ]