明治から大正にかけて人気を博した画家、渡辺省亭(1852~1918)。日本画家としていち早く渡仏し、帰国後は主に花鳥画で活躍。晩年は市井の画家として生涯を終えた事もあり、日本では「知る人ぞ知る」存在になりましたが、作品は欧米でも高い人気を誇ります。
これまで知られていなかった個人コレクションを中心に、日本的な情緒と西洋的な写実の両面を兼ね備えた省亭の世界を通覧する展覧会が、東京藝術大学大学美術館で開催中です。
会場風景
会場に入って最初に登場するのが、豪華な壁の室内装飾。明治42年に竣工した東宮御所、現在の迎賓館赤坂離宮の「花鳥の間」と「小宴の間」にある、七宝額の原画です。
七宝は濤川惣助の制作ですが、その下絵を手がけたのが省亭。細部まで丁寧に描き込まれており、その質の高さで省亭の代表作といえます。
渡辺省亭《迎賓館赤坂離宮 七宝額原画》東京国立博物館 (手前)「海の幸」[展示期間:3/27~4/25]
《四季江戸名所》は、本展で初めて公開される作品です。女性の立ち姿などとともに、春は上野の桜、夏は不忍池、秋は滝野川、冬は隅田堤と、季節ごとの情景を描いています。
江戸時代の風俗画ではなく、時代が東京になったことを踏まえた上で、四季を楽しみながら過ごす人々を表現。洗練された筆致が、省亭作品の魅力といえます。
渡辺省亭《四季江戸名所》[全期間展示]
日本画家として、はじめてパリを訪れた画家が省亭です。印象派の画家たちが集うサロンで席画(宴席などで即興で描く絵画)を披露し、彼らを驚嘆させたと伝わります。
《花鳥魚鍛画冊》は、来日した外国人コレクターが河鍋暁斎に依頼したものですが、暁斎が途中で没したため、残りの21図は省亭が担当、現在はメトロポリタン美術館の所蔵です。これに限らず省亭の作品は、欧米の主要な美術館で見る事ができます。
渡辺省亭《花鳥魚鰕画冊》メトロポリタン美術館 (左から)「蝦図」「藤に小禽図」[ともに全期間展示]
展覧会の開幕直前に出品が決まったのが《七美人之図》、日本初公開の作品です。
霧が立ち込める鬱蒼とした竹林に中に佇む女性は、中央の花魁をはじめ、禿、芸者、遊女、武家の娘など。さまざまな境遇の女性たちを美しく描きわけており、省亭が花鳥画だけの画家ではない事が良くわかります。
(左から)渡辺省亭《七美人之図》クラウス・F・ナウマン コレクション[全期間展示] / 渡辺省亭《石山寺》[展示期間:3/27~4/25]
省亭は明治20年代に集中して出版関係の仕事を行っていました。
山田美妙、坪内逍遙、尾崎紅葉など、当時流行していた作家による小説の挿絵、口絵などで活躍。裸体画が市民権を得ていなかった明治20年代に、山田美妙の「蝴蝶」で、壇ノ浦の海に逃れた官女・胡蝶を裸体で描き、物議を醸した事もあります。
(左から)ちぬの浦浪六『奴の小万』口絵 春陽堂刊 明治25年(1892) / 山田美妙「蝴蝶」挿絵 『國民之友』第37号 民友社刊 明治22年(1889) 杜若文庫[ともに全期間展示]
3階の会場に進むと、圧巻の花鳥画がずらり。その作品は「省亭風」と呼ばれ、人気を博しました。
画業の初期には起立工商会社で輸出用工芸図案を担当していた省亭。その花鳥画は輸出向けの図案がベースになっていますが、日本的な要素だけにとどまらず、徹底的に写生を重ねている事が省亭の特徴といえます。
的確な構成も含め、日本人の美意識に根ざした、省亭ならではの作品世界が成立しています。
(右)渡辺省亭《牡丹之図》明治32年(1899)[展示期間:3/27~4/25]
本展のメインビジュアルが《牡丹に蝶の図》です。画面の中央に大きな牡丹の花と、花の蜜を吸うクロアゲハ。左側の枯れた花から落ちる花弁や雄蕊(おしべ)の様子から、左から右に静かに風が吹いているのが分かります。静謐な画面の中に、さりげなく空気の動きを描いた、見事な一点です。
冒頭の迎賓館赤坂離宮の作品をはじめ、省亭は濤川惣助と協業した作品をいくつか残しています。濤川は焼成前に金属線を取り除く無線七宝の技術を開発し、のちに帝室技芸員になりました。
明治22年と33年のパリ万博、26年のシカゴ万博、43年の日英博に出品された濤川の七宝額絵の原画が、いずれも省亭によるものだったと分かったのは、最近のことですが、ただ、多くは無記名のため、原画が省亭によるものか判断の難しいものも少なくありません。
(左から)渡辺省亭原画、濤川惣助作《七宝四季花卉図花瓶》静嘉堂文庫美術館 / 渡辺省亭《牡丹に蝶の図》明治26年(1893)[ともに全期間展示]
省亭は多色摺木版の分野でも精力的に活動しました。春陽堂の創業者、和田篤太郎に抜擢されて刊行した美術雑誌『美術世界』では、省亭が自ら編集。彫り師・摺り師とも当時最高の職人を起用し、開業間もない帝国ホテルにも常備されるなど、外国人にも人気を博しました。
『省亭花鳥画譜』は大倉書店から出版された全三巻の木版画譜です。自作のみ、全67図を収めており、ここで描かれたモチーフは、その後の肉筆画にも活かされています。
渡辺省亭『省亭花鳥画譜』三之巻原画 明治23年(1890)萩原司氏蔵 埼玉[全期間展示]
年齢を重ねるとともに円熟味を増していった省亭。後藤象二郎が作品を買い求め、15代市村羽左衛門は何度も画室に足を運ぶなど、各界の大立者から贔屓にされましたが、明治30年代以降は公の展覧会や博覧会にはほとんど出品せず、特定の美術団体にも属しませんでした。
このコーナーでは、2018年に齋田記念館で開催された「渡邊省亭没後100年 花鳥礼讃」展以来のご紹介です。類い稀なるその作品世界をご堪能ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年3月26日 ]