フィンランドが生んだモダニズム建築の巨匠、アルヴァ・アアルト(1898-1976)。機能的だけでなく、あたたかみも感じるその作品は、今でも多くの人を魅力します。
世界的な名声を誇るアルヴァに比べ、妻アイノ・アアルト(1894-1949)はあまり知られていませんが、二人は互いに影響を与え、補完しあう関係でもありました。
アイノの仕事にも目を向け、ふたりが協業した25年間を見つめなおす展覧会が、世田谷美術館で開催中です。
世田谷美術館「アイノとアルヴァ 二人のアアルト」会場入口
アアルト夫妻が出会ったのは1924年。4歳年上のアイノがアルヴァの事務所で働き始めた事が、きっかけになりました。半年後にふたりは結婚、公私にわたるパートナーとなります。
夫妻は新婚旅行で北イタリアへ。各地でその土地の文化や風土、また環境と調和した建築を見て歩き、その経験は後の仕事にも大きな影響を与えました。
イタリアでの経験が顕著にみられるのが、ユヴァスキュラの労働者会館です。外観に円柱が、室内の装飾や照明器具にはルネサンスやバロックの様式が取り入れられており、アルヴァの初期を代表する作品です。
1章「イタリアから持ち帰ったもの」
1927年、アルヴァはトゥルクの大規模プロジェクト、南西フィンランド農業協同組合ビルの設計競技に勝利。当時フィンランド最先端の国際都市だったトゥルクに建物が完成すると、アアルト一家は事務所をかねるかたちで、そのビルの最上階に転居しました。
街の環境に後押しされるように、アルヴァはモダニズムの建築家が集う「近代建築国際会議」に参加。仲間から刺激を受け、アアルト夫妻の建築は、短期間のうちに古典主義からモダニズムに変容していきました。
2章「モダンライフ」
アアルト夫妻は活動の初期から、木材による新しいデザインの可能性を模索していました。北欧の木材を知り尽くした熟練の家具職人、オット・コルホネンと出会い、自身がデザインした家具をコルホネンの工房で制作できるようになると、技術革新に乗り出します。
「ロウ チェア」では椅子の脚の取り付け位置を工夫し、スタッキング(積み重ね)を可能に。廉価なバーチ材による曲げ木技術を開発し、大判の成形合板から「パイオミチェア」を制作。無垢材に切り込みを入れて直角に曲げる技術「L-レッグ」では特許を取得し、アルテック社の事業を通じて、世界的に広まっていきました。
3章「木材曲げ加工の技術革新」
1920年代初頭から広まった、モダニズム建築。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエらの建築家、バウハウスやデ・ステイルなどの教育機関や造形運動が、その流れを先導しました。
フィンランドでいち早くモダニズムを取り入れたのがアアルト夫妻です。ヴィープリの図書館は、設計競技で優勝して実現したもの。空間がもつ機能上の特性を重視したこの建築は、世界的に高く評価されました。
初めて「L-レッグ」が大々的に披露されたのも、ヴィープリの図書館です。「L-レッグ」を象徴する「スツール 60」は、この図書館には欠かせないアイテムです。
4章「機能主義の躍進」
1935年、アアルト夫妻は友人と共同で、インテリアデザイン会社「アルテック(Artek)」を設立しました。芸術(art)と技術(technology)からなる社名には、インテリアデザインを通して人々の啓蒙を目指した彼らの思いが込められています。
マルミ空港ターミナルのインテリアも、アルテックが手がけた仕事です。デザインはアイノがディレクションしました。滑走路を見渡せる連続窓を最大限に活用、斬新なその仕事は、当時のインテリアデザイン界に大きな影響を与えました。
5章「アルテック物語」
パイミオのサナトリウムとヴィープリの図書館はヨーロッパのモダニストに絶賛され、アルヴァは国際的に認められましたが、アルヴァはモダニズムの枠に留まらず、独自の手法を展開していきます。
住宅に強い関心を持っていたアルヴァ。ヘルシンキのアアルトハウスは、アアルト夫妻の自宅兼設計事務所で、彼らが思い描いたモダンな住宅の要素を全て適えた理想の建物といえます。シンプルな自然の素材で柔らかな表情の建物はアルヴァ・アアルト財団が所有し、近年は一般に公開されています。
6章「モダンホーム」
知名度が高まったアアルト夫妻は、国際的な舞台にも活躍の場を広げていきます。
ミラノ・トリエンナーレでは、1933年に曲げ木の家具でアルヴァが、1936年にはガラス器「ボルゲブリック」でアイノが、立て続けに金メダルを受賞。ふたりの仕事は高く評価されました。
1939年のニューヨーク万国博覧会では、フィンランド館の設計を担当。割り当てられた建物の内部に高く前傾したうねる壁を設置。低い位置からも展示が見えるとともに、包み込まれるような感覚も生まれます。本展の会場にも、万博での試みを模した壁面を設置、ダイナミックな構成でアアルトの世界を体感追できます。
7章「国際舞台でのアアルト夫妻」
アアルト夫妻はふたりの子どもに恵まれ、アイノはアアルト事務所の財務を管理するとともに、家庭内の仕事を受けもちました。事務所のブランディングも進め、事務所の作品はすべて「建築家アルヴァ・アアルト」の名のもとに統合しました。
アイノは54歳の若さで亡くなりましたが、ふたりが培ってきたヴィジョンはアアルトに生き続けました。
エピローグ「分かちあったヴィジョン」
建築やデザインが好きな人なら感性を刺激してくれそうな展覧会です。会場には各所に「アアルトデザインと暮らす」と題した特設コーナーも設置。アルテックの家具とイッタラの器で、アアルトのデザインを体感できます。このコーナーは撮影も可能です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年3月19日 ]