1970年代後半、マンガ雑誌『りぼん』(集英社)で、ロマンチックな“おとめちっく”ブームを牽引した田渕由美子(たぶちゆみこ)。初めての展覧会が弥生美術館で開催中です。

会場入口
田渕は1954年、兵庫生まれ。1970年、高校1年生の時にデビューしているので、昨年でデビュー50周年となります。
1971年から『りぼん』増刊号で活躍し、1975年に『りぼん』3月号の「マルメロ・ジャムをひとすくい」で本誌に初登場。その後も「ライム・ラブ・ストーリー」「風色通りのまがりかど」などが掲載されました。
1970年代の日本は、まだまだ和室が一般的。田渕の作品は日本を舞台にしながらも、「赤毛のアン」のようなアーリーアメリカン調の世界は、「おとめちっく」と呼ばれて大ブームとなりました。

「ライム・ラブ・ストーリー」
自身が1973年に早稲田大学第一文学部に進学した事もあり、大学が舞台になっている事が多い田渕の作品。読者層の少女も「年上の先輩との恋」という「いずれ来るかもしれない未来」を重ねる事ができました。

「クロッカス咲いたら」
田渕の代表作といえるのが「フランス窓便り」。田渕にとって初めての連載作品で、フランス窓がある小さな洋館でルームシェアをする3人の少女たちの恋物語が、オムニバス形式で描かれました。性格が異なる3者のラブストーリーは読者の心をつかみ、大人気作品になりました。

「フランス窓便り」
会場では初期作品も紹介。デビュー当時は外国を舞台にしたラブコメディを描いていましたが、後に大島弓子の作品に傾倒。「少女らしさ」や「少女の纏う柔らかな空気感」を感じていたといいます。

「イブの窓辺に」
田渕が活躍した少女マンガ雑誌『りぼん』についても解説されています。1955年創刊の『りぼん』。70年代の田渕由美子、陸奥A子、太刀掛秀子は「おとめちっく」旋風を巻き起こし、大きく飛躍。100万部雑誌として定着していきました。
本来のターゲットは小学生中〜高学年ですが、中高生、大学生、OLまで読者層は広がっていきました。

田渕由美子が表紙を描いた『りぼん』
そもそも『りぼん』はふろく付きの少女雑誌として創刊された事もあり、ふろくは魅力のひとつ。1974年頃からマンガ家がふろくを手がけるようになると、田渕由美子、陸奥A子、太刀掛秀子のイラストはセンスのよいステーショナリーによく似合い、読者から大きな支持を集めました。

『りぼん』のふろく
1981年、集英社は『りぼん』よりやや上の年齢層をターゲットにした季刊マンガ誌『りぼんオリジナル』を創刊。田渕は創刊号をはじめ、計9冊の表紙を担当しました。
また『ぶ〜け』にも作品を発表しますが、子育てと仕事の両立が難しくなり、1987年でストーリー作品は休止しています。

『りぼんオリジナル』 右が創刊号
一度マンガから離れた田渕ですが、挿絵やイラストの仕事は継続。集英社発行のコバルト文庫のカバーイラストや挿絵、そして小説雑誌『コバルト』の表紙絵などを担当しました。
『りぼん』時代とタッチは変化しましたが、田渕らしい透明感ある少女像のイメージは健在です。

コバルトシリーズのカバーイラスト
子育ても一段落した1997年、10年ぶりにストーリーマンガに復帰。「桃子について」をレディースコミック誌『YOU』に掲載したのを皮切りに、『office YOU』『別冊 YOU』『YOUNG YOU』などでも活躍しました。
「おとめちっく」マンガ家というイメージからも解放された田渕は、それまでの経験も踏まえ、奥深いストーリーを描くようになりました。

「桃子について」
2015年には「陸奥A子×少女ふろく展」展を開催し、好評を博した弥生美術館。今回も、少女時代を思い出しているかのように熱心に鑑賞する来館者の姿が印象的でした。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年3月10日 ]