室町時代から江戸時代まで約400年にわたり、日本画壇の頂点に君臨した狩野派。同時期に成立し、一時は衰退するも宮廷の絵師として復活した土佐派。比較されることも多い両派は、その後の日本美術にも大きな影響を与えた特別な存在です。
館蔵の狩野派と土佐派の作品を中心に、幕府や宮廷の御用を務めた絵師たちの作品を紹介する展覧会が、根津美術館で開催中です。
会場入口
展覧会は4章構成で、第1章は「足利将軍家の御用」。中国の文化が珍重された室町時代、足利将軍家は中国画の技術に秀でた画僧を、御用絵師として召し抱えるようになりました。
代表的な存在といえるのが、相国寺の周文です。周文は多くの弟子を育てており、中には将軍家の御用を務める者も。狩野正信もその系譜に連なります。
伝 狩野正信《観瀑図》室町時代 16世紀 根津美術館 小林中氏寄贈
第2章は「戦国時代を生き抜く」。狩野正信の後を継いだ嫡男・元信は、父の画風を整理・発展させ、狩野派の画風を確立させました。
もともとの中国画をベースに、やまと絵の技法も取り入れた狩野派は、幕府はもとより戦国武将や有力寺院などからも支持され、その勢力は全国に拡大。元信は工房を率いて絵画を量産し、狩野派による画壇支配の構図が固まっていきました。
伝 狩野元信筆《四季花鳥図屏風》室町時代 16世紀 根津美術館
第3章は「江戸幕府と御用絵師」。江戸時代になると、元信の孫にあたる狩野永徳が登場。京都から江戸に居を移し、太平の世に相応しい繊細で華麗な作品を描いた永徳は、まさに時代が求めた絵師といえます。
その後の江戸時代の狩野派は、狩野尚信を祖とする木挽町狩野派が画壇の中心を務めていきました。
(左から)狩野安信《牡丹猫・萩兎図》江戸時代 17世紀 個人蔵 / 狩野尚信《文殊・荷鷺・芦雁図》江戸時代 17世紀 根津美術館
興味深い資料が《鶉図・林檎鼠図極書》。探幽と木挽町狩野派の当主たちによる極札(外題)と、添状(折紙)で、ともに現代でいうところの鑑定書です。
障壁画などの作品制作だけでなく、古画の鑑定は御用絵師の重要な仕事です。鑑定料を得る事はもちろん、古画学習の場としても有益でした。
《鶉図・林檎鼠図極書》江戸時代 17~19世紀 根津美術館
第2展示室に移り、最後の章は第4章「宮廷絵所預 ― 土佐派とやまと絵の絵師たち ― 」。土佐派は狩野正信と同年代の土佐光信が最盛期。古来から続く日本独自のやまと絵の様式を確立させ、室町時代には宮廷の絵所預(えどころあずかり)として栄華を極めました。
ただ、当主の土佐光元が木下藤吉郎の但馬攻めで討ち死に。絵所預の地位を失い、狩野派の台頭もあって没落しますが、江戸時代に土佐光起が新たな様式を生み、85年ぶりに絵所預として復権。再興した土佐派から分かれた住吉派も活躍し、その勢力は幕末まで保たれました。
土佐光起筆《藤原家隆像(「二三四帖」のうち)》江戸時代 17世紀 個人蔵
根津美術館のお楽しみのひとつが、企画展と同時に開催されるテーマ展示。展示室5の「変化のものがたり ―お伽草子二題―」では、女性が大蛇に化ける《賢学草紙絵巻》と、狐が女性に化ける《玉藻前物語絵巻》が紹介されています。おおらかな画風が、味わい深さを引き立てています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年2月24日 ]