2012年のリニューアルオープン以来、近代洋画家の紹介を続けている東京ステーションギャラリー。本展で紹介される南薫造(1883-1950)もそのひとり、明治から昭和にかけて官展で活躍した洋画家です。
故郷の広島以外での大規模な回顧展は今回が初めて。“日本の印象派”と呼ばれた南の全貌に迫る展覧会です。
会場入口
南薫造は東京美術学校に入学後、岡田三郎助に師事し、静物や風景の写生を学びます明治30年代には、全国的なブームとなっていた水彩画も制作。さらに水彩画を学ぶためイギリスへ留学します。
留学先では現地の風景や人々の写生を行ったほか、欧米も巡回し様々な美術家たちとも交流。各地の美術館を訪れて描いた模写作品も、多く残されています。
(左から)《赤衣の男》1907年 / 《英国農夫の顔》1907年
初期の代表作は、物思いに耽る女性をみずみずしく描いた《座せる女》。帰国後の文展に出展した際には、温和な雰囲気と色づかいで好評を博しました。
バーン=ジョーンズの《ミル》の作品は、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館の作品を模写したもの。この作品の模写は2点展示されていますが、サイズが大きいこちらは、より忠実に原作を描こうとしていたことが分かります。
(左から)《座せる女》1908年 / 《バーン=ジョーンズ〈ミル〉模写》1908年 / 《夕に祈る》1908年
南がウィンザーで過ごした際に宿泊先で出会った少女を描いたのが《うしろむき》。水面や空をのびやかな構図で描き、柔らかな光を浴びたあどけない少女と街並みの濃淡を効果的に用いて、遠近感を表現しています。
展示風景 (左)《うしろむき》1909年
2階からは帰国後の作品を紹介。留学中に交流のあった富本憲吉がきっかけとなり、創作版画の先駆けといえる木版画の制作を行ったほか、日本画、表紙絵や天井画などの大作にも挑みました。また、インドや朝鮮半島、中国のほか国内でも北海道から九州まで足を運び、スケッチをしていきます。
会場の中でひと際存在感を放つ作品が、水を飲む若い農夫の横顔の《六月の日》。注目すべきは、空や海の点描と、麦の穂の細い線など様々な筆触で描かれている点です。夏の暑さが伝わってくるような光の表現がありながらも、穏やかな風土を感じさせる南の代表作です。
展示風景 (奥 左から2番目)《六月の日》1912年
第一回帝展への出展作品の《夏》も注目したい作品です。中央の木は、よく見ると幹も裂け、枝も折れています。背後を囲む生い茂る葉の生命力と朽ちていく老木の対比から、レクイエムを思わせようです。アーチ型の額縁もアクセントになり、写実・自然主義の深い精神性が伝わってきます。
(左から)《すまり星》1921年 / 《夏》1919年
1923年9月1日、首都を襲った関東大震災。南は地震直後に、崩れた建物や倒れた街灯や電信柱、瓦礫の山をスケッチしていきました。そこには、被害の様子を淡々と伝えるとともに、復興へ歩き出す人々の姿も描きこまれています。
(左から)《震災風景2》1923年 / 《大震災東京スケッチ》1923年頃 / 《小田原の海》1923-24頃
戦後には復興を強く願い、地域の文化への復興にも力を入れた南。晩年の制作活動の中心は、郷里である瀬戸内を巡った風景写生でした。
国防上の理由から瀬戸内海の海岸線でのスケッチは禁じられていた戦時中。瀬戸内海をゆったり見下ろして描かれた《瀬戸内海》は、まさに戦争が終わった開放感が感じられる清々しい作品です。
《瀬戸内海》広島県
“日本の印象派”に相応しい細やかなタッチから晩年の大胆なスタイルまで、展示室毎に作品の変化も楽しめる本展。一環して穏やかな南の作品は、今の時期にこそ心に染み渡りますそうです。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 / 2021年2月19日 ]