モダンな美人画を描くことで知られている東郷青児。本展では、「旅」をテーマに、世界を巡った東郷の作品と蒐集品を紹介しています。
「東郷青児 蔵出しコレクション~異国の旅と記憶~」会場
24歳の時にフランスへ留学した東郷。2年の間に、ドイツやイタリア、スイス、スペインを旅してヨーロッパの文化に触れます。
1923年に起きた関東大震災により実家の仕送りが途絶え、生活苦に陥ります。そこで、壁画の下働きや装飾ガラスの図案工として、南仏のコートダジュールやトルコまで派遣にいくこともありました。第一章では、仕事で訪れた南仏やイタリアで描いた作品を展示しています。
(左から)《ビルヌ~ブ》 1923年 / 《南仏風景》 1922年
フランスから帰国した東郷は、5年ほどデザインと文筆活動で生計を立てます。
フランスでの経験を活かし、アール・デコ風の広告のデザインやフランスの生活習慣を雑誌で紹介。モダンな白い邸宅に住み、日本政府が目標としていた洋風生活を取り入れた近代化を体現していくことが仕事のひとつでした。
「東郷青児 蔵出しコレクション~異国の旅と記憶~」会場
(左から) 《窓》1929年 / 《超現実派の散歩》1929年
1930年代になると、同じく帰国した藤田嗣治と親交を深め、作品にも藤田から受けた影響が現れてきます。モチーフは、パリのファッション雑誌の写真のような女性と、歴史的な清風洋画を形式化した女性の2タイプに絞られ、「青児美人」と呼ばれるようになります。
1950年代のファッションの象徴といえる、なだらかな肩のラインに絞ったウエスト、フレアスカートは《赤いベルト》や《望郷》にもみられます。上を向く女性の横顔は、終戦後の明るい未来への願いを込めて繰り返し描かれました。
その特徴ある東郷の作品は、「西洋」のイメージとして万人に受け入れられ、日本各地のホテルや百貨店の壁画や緞帳も手掛けています。
(左から) 《朝》1958年頃 / 《赤いベルト》1953年 / 《望郷》1959年
二科会にも参与していた東郷は、この経験を活かし、運営も担うようになります。1960年3月、二科会は日本の美術団体として初めて、フランスで大規模な展覧会を開催。
その後もニ科会の交換会を各地で開催。その功績から1967年にはパリ市から文化功労賞を授与されます。また、《干拓地》に対してもフランス政府から文芸勲章も授与されました。
《干拓地》 1966年
「東郷青児 蔵出しコレクション~異国の旅と記憶~」会場
60歳を過ぎると、モロッコやサハラ砂漠周辺のアラブ諸国など世界各地を巡り、エキゾチスマにも魅了された東郷。特に、サハラ砂漠には毎年訪れ、住民と数日間過ごす生活もありました。
5章では、現地でのスケッチ作品のほか、東郷が蒐集した宗教彫刻や素朴でエネルギーの感じられる骨董、南米の土産品も合わせて展示しています。
(左から) 《六臂観音菩薩像》明時代(14-17世紀) / 《女体礼賛》1972年
「東郷青児 蔵出しコレクション~異国の旅と記憶~」会場
二科会での国際交流を通じて、東郷が入手した海外作家の作品を紹介している最終章。20世紀のフランスの作家の油彩画や版画、タペストリー、彫刻も蒐集していきました。
多様な造形に刺激を受け、晩年の作品には新たな展開が見られます。荒々しいタッチでごつごつと盛り上がった肌。「気迫」をもって大胆な冒険をしたと語る《貴婦人》には、パレットナイフで大胆な色彩の中に浮かび上がる大きな瞳が特徴です。
(左から)《貴婦人》 1976年 / 《グラン・コルニッシュ》 1975年
東京火災(現・損保ジャパン)が印刷物のデザイナーに起用した縁から、「東郷青児美術館(現・SOMPO美術館)」の顧問にもなった東郷青児。
これだけの作品を展示作品が見られるのは、SOMPO美術館ならではと言えます。展示の機会が少なかった作品と一緒に、世界へ旅する感覚で鑑賞してみては。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 / 2020年11月10日 ]