吉原における遊女の頂点、花魁。美貌はもちろん、著名人と互角に渡り合える知識を持ち、芸事も超一流。夜の商売でありながら、一般人も憧れたその存在は、現代の職業に置き換える事はなかなか困難です。
花魁の浮世絵を紹介する本展、展示室に入ると、いつもより肉筆画が目立ちます。そもそも、風俗画から美人を抜き出すように成立していった浮世絵。美人画は浮世絵のルーツのひとつといえる存在です。
1章「美を競う ─ ゴージャスな花魁ファッション」。花魁の花魁たるゆえんは、やはり、美しくある事。着飾る事は、とても大切でした。多くの簪(かんざし)、前で結ぶ帯と、吉原の長い歴史の中で、独特の美意識が育っていきました。
2章「美を競う ─ 美の歴史」。前述したように、浮世絵創成期からある美人画。菱川師宣の時代から明治半ばまで、約200年描かれた遊女。ファッションも大きく変わりました。
3章「年中行事」。7月の「玉菊燈籠」、8月の「俄(にわか)」など、吉原では年中行事が盛んです。多くの行事は「紋日(もんび)」と重なりますが、この日は揚代金が、ふだんの2倍。客がつかない遊女は、自分で払わなければいけない決まりです。こういう日にわざわざ行くのが“粋”、という事。ポイント2倍の日を選んで買い物をする自分とは大違いです。
4章「吉原24時」。遊女の仕事は、もちろん夜がメイン。最も忙しいのは18時頃から0時頃までの「夜見世」ですが、「昼見世」(14時頃~16時頃)も営業しています。いずれにしても、一般の人とは一日の過ごし方が違います。
5章「さまざまな遊里」。幕府公認の遊郭は吉原のみですが、非公認の遊里もあり、岡場所と呼ばれました。岡場所の中では、品川はランクが高いほうで、深川はもっと庶民的です。
6章「物語のなかの花魁」。一休と師弟関係になった地獄太夫、仙台藩主の意に沿わなかったため惨殺された二代目高尾(高尾太夫)など、伝説上の遊女は、浮世絵でも数多く表現されました。現代でも花魁や遊女は、しばしば映画や漫画の題材になっています。
会場2階では、花魁のファッションの変遷(髪形と衣裳)と、遊女のランクについてもパネルで解説。遊女のランクは時代によって変わり、以前の最上位は「太夫」、後に「呼び出し昼三(ちゅうさん)」が最上位になります。では花魁は? というと、実は花魁はランクの名前ではなく、あくまでも上位の遊女に対する通称です。
前期展は11月25日(日)まで、後期展は11月30日(金)~12月20日(木)。前後期で全ての作品が展示替えされます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年11月1日 ]