アフガニスタンのヒンドゥークシュ山脈の中にあるバーミヤン遺跡。東と西の石窟群には、それぞれ中央に大仏があり、東大仏の上部には太陽神が、西大仏の上部には弥勒菩薩が上生した「兜率天(とそつてん)」の世界が描かれていました。
太陽神と弥勒の世界を中心に、特に日本の古刹に伝わる仏像なども紹介しながら「未来仏」である弥勒信仰の流れに焦点を当てた展覧会「バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」が、三井記念美術館で開催中です。
三井記念美術館「バーミヤン大仏の太陽神と弥勒信仰」会場入口
では早速、目にとまった作品をご紹介しましょう。
《スーリヤ柱頭》は、ストゥーパ(仏塔)表面に装飾的に設けられた、付け柱の柱頭です。
ガンダーラの仏教寺院ではしばしば太陽神・スーリヤが表現されますが、ここでも中央に4頭立ての馬車に乗って正面を向く太陽神の姿がみられます。
《スーリヤ柱頭》ガンダーラ・2~3世紀 平山郁夫シルクロード美術館
こちらの《風神像》はインドの風神、ヴァーユの彫像。上半身裸で、両手で翻るマントの端を握っています。
グプタ朝期の作例は図像的に類例が少なく、貴重な作例です。
《風神像》インド北部/グプタ朝・5~7世紀 平山郁夫シルクロード美術館
大阪・羽曳野市の野中寺に伝来した《弥勒菩薩半跏像》は、丙寅年(666)に造立されたもの。台座の銘文に、この像が弥勒菩薩であることが記されています。
初唐様式をいちはやく導入し、日本でつくられたものとみられています。
重要文化財《弥勒菩薩半跏像》白鳳・天智5年(666)大阪・野中寺
2001年にタリバンによって爆破されたバーミヤン石窟の東西大仏。かつて京都大学、名古屋大学の調査隊が記録した写真、ノート、スケッチなどを基にした描き起こし図が完成し、本展覧会で東京初公開となりました。
今後、世界中の研究者によって利用されると考えられます。
(左から)《バーミヤン西大仏龕壁画 描き起こし図》宮治昭監修・正垣雅子筆 2023年 龍谷ミュージアム / 《バーミヤン東大仏龕天井壁画 描き起こし図》宮治昭監修・正垣雅子筆 2022年 龍谷ミュージアム
インドではガンダーラ地方を中心に、弥勒菩薩のさまざまな場面が像になってきました。
こちらの《弥勒菩薩立像》は上半身裸で、天衣と裳をまとった姿。
髪を結い上げて左手に水瓶を提げる姿は、ガンダーラにおける弥勒菩薩の典型的な表現で、バラモン行者や梵天(ブラフマー)などが元になっています。
《弥勒菩薩立像》ガンダーラ・3〜4世紀
こちらの《観音菩薩半跏思惟像》は、豪華なターバン冠飾をかぶった姿。左手に蓮華を執っていることから、観音菩薩と考えられています。
台座には「ダミトラ」というからの寄進であることがわかる銘文が残っています。
(手前)《観音菩薩半跏思惟像》ガンダーラ・3〜4世紀 平山郁夫シルクロード美術館
中国の初期弥勒信仰をみると、敦煌の石窟で巨大な弥勒菩薩像が造立されています。南北朝時代の華北を統一した北魏でも、石窟に弥勒像がみられます。
こちらの《菩薩半跏思惟像》は、台座の銘文から制作年代が判明しています。
《菩薩半跏思惟像》東魏・武定2年(544)
法隆寺は奈良時代以来の法相学を継承し、仏像、仏画など多くの弥勒如来像、弥勒菩薩像が伝来しています。
左手に宝塔を載せた蓮華を執る《弥勒菩薩坐像》は平安前期、両手を脚上に置いた《弥勒如来坐像》は平安中期頃の制作とみられています。
(左から)重要文化財《弥勒菩薩坐像》平安時代前期・9世紀 奈良・法隆寺 / 重要文化財《弥勒如来坐像》平安時代・10世紀 奈良・法隆寺
バーミヤンでの太陽神と弥勒を中心に、ガンダーラ地方から日本までの仏教美術の変遷を楽しめる企画。京都の龍谷ミュージアムからの巡回展です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年9月17日 ]