ヴィーナスの神話が、いかに古代の芸術家のインスピレーションを刺激したのか、そして古代文化が再生したルネサンスにおいて、どのようにヴィーナスの図像が復活、発展したのかを、約80点の絵画、彫刻、工芸品等によってたどります。特に今回は、ウフィツィ美術館、アカデミア美術館等を管轄する、フィレンツェ美術館特別監督局の全面的な協力により、ヴェネツィア派を代表する画家ティツィアーノの名品≪ウルビーノのヴィーナス≫が出品されることになりました。この作品は過去数度、特別な機会にしかウフィツィ美術館を留守にしたことがなく、ヨーロッパ以外の国に貸し出されるのは、今回が初めてとなります。ほかにも、フィレンツェをはじめイタリア各地からヴィーナスを描いた選りすぐりの作品が貸し出される予定です。
現代人にとっておそらく最も馴染みの深い女神であるヴィーナスは、もとは古代ローマの女神でした。ラテン語はウェヌス(“ヴィーナス”は英語による表記)といいます。ただし彼女には前身があって、それがギリシア神話の女神アフロディテです。アフロディテは愛と美、豊饒の女神であり、ヴィーナスはこの特徴をそのまま受け継ぐこととなりました。多くの神話において主要な登場人物であった彼女は、神話の一場面として他の神々と共に表わされることもあれば、単独で表わされることもありました。そして彼女の傍らには、しばしばその息子キューピッドも登場します。
ヴィーナスはキリスト教にとっては異教の神なので、中世美術にはあまり見られません。彼女の図像が本格的に復活したのはルネサンスのことで、古典文学の復興と相まって、彼女は多くの美術作品に登場するようになりました。本展では、同じ主題を描いた古代とルネサンス以後の作品を同じ会場に展示します。両者を比較することで、ルネサンスの芸術家たちが古代から何を学び、どのように表現を発展させたのかを、理解していただけるはずです。
ルネサンス期のフィレンツェにおけるヴィーナス像は、当時の哲学的な議論を背景にして、慎み深い表現が多かったのですが、一方でヴェネツィアでは、絵を見る男性の視線を意識した、官能的な女神が登場するようになります。≪ウルビーノのヴィーナス≫はその代表的な作例です。ヴェネツィアのなまめかしいヴィーナス像は、その後女性ヌードを描く画家たちにとっての手本となりました。マネの≪オランピア≫(パリ、�ルセー美術館/本展には不出品)が≪ウルビーノのヴィーナス≫の構図を下敷きにしていることは、≪ウルビーノのヴィーナス≫が後世の画家たちにとっていかに大きな存在であったかを物語っているでしょう。
私たちが「美」や「愛」を捉える方法はさまざまであり、それゆえその化身であるヴィーナスは、表現の幅を持つことができました。彼女は神話上の存在であると同時に、愛や美という哲学の根本にかかわる問題を象徴することができ、さらには艶っぽい装いをまとうこともあったのです。本展に展示される作品の数々を通じて、ヴィーナスのさまざまな現れようをご鑑賞下さい。