本来は4月から始まるはずだった本展。新型コロナの影響で一時は中止が発表されましたが、所蔵者の理解を得て4カ月遅れで復活開催となりました。
会期は約1カ月と短くなりましたが、内容や規模は極力変更せず、ぎゅっとコンパクトに凝縮。近代木版画の世界を紹介していきます。
会場風景
近代までの日本の印刷といえば、木版画です。浮世絵版画はもちろん、瓦版、読本、草双紙など、基本的にすべて木版で印刷されていました。
開国で西洋から印刷技術が入ってくると、最終的には木版画は下火になりますが、すぐに無くなったわけではありません。それどころか、新たな表現に刺激を受けた木版画は、さらなる進化を遂げたともいえます。
二人の版元に焦点を当てた本展、第1部「明治錦絵」は大倉孫兵衛です。
第1部「明治錦絵」
大倉孫兵衛は幕末から大正期に活躍した実業家です。大倉陶園を設立したほか、ノリタケ、日本ガイシ、TOTOなどにも関わり、日本の近代製陶業の立役者といえる存在です。
ただ、そもそも孫兵衛は絵草紙屋の出身。印刷には詳しく、20代前半で版元に。本展では版元としての孫兵衛の活動に目を向けています。
開国で海外との貿易拠点となった横浜。孫兵衛は輸出向けの錦絵を制作して成功。後に興した陶磁器の生産と輸出も、この時の利益がもとになりました。
ここで紹介されている《大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖》が、本展最大の目玉です。版元としての孫兵衛の活動を知らしめた画帖です。
画帖は7冊あり、描かれているのは美人画や役者絵などさまざま。特に注目されるのが画帖1で、縦位置の画面に花鳥や美人が描かれた輸出用の錦絵がまとめられています。充満したモチーフに華美な彩色、お腹いっぱいになるような強烈な存在感です(画帖はほぼ1週間ごとに展示替えされる予定です)。
《大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖》(左上)画帖2 / (右下)画帖1
《大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖》(上から)画帖6 / 画帖31
第2部は「新版画」。明治末に従来の錦絵が衰退していくなかで、江戸時代以来の多色摺木版画の伝統を残すべく、新たなモチーフで制作されたのが新版画です。
新版画の版元としては渡邊庄三郎が有名ですが、本展で紹介されているのは、土井貞一が設立した土井版画店。渡邊版画店の作品と比較すると、抑えた色調が特徴といえます。
(左から)川瀬巴水《東京二十景 馬込の月》渡邊庄三郎版 / 川瀬巴水《冬の月(戸山ヶ原)》土井貞一版
土井版画店の主な絵師は、川瀬巴水、土屋光逸、ノエル・ヌエットの3名。新版画の旗手である巴水はともかく、他の二人の作品がここまで揃うのは、なかなか無い機会です。
土屋光逸は小林清親の弟子。日清戦争の錦絵でデビューするも活躍できず、昭和になってから新版画の絵師として再起しました。深みのある風景画を得意とし、遅咲きながら一定の人気を獲得しました。
ノエル・ヌエットは、フランスの詩人でした。来日後に万年筆で東京をスケッチして歩き、土屋版画店はその描線を活かした木版画を制作しました。銅版画のような硬さが無い、暖かな描写が特徴的です。
(左から)土屋光逸《精進湖》土井貞一版 / 土屋光逸《西湖の夕照》土井貞一版
(左から)ノエル・ヌエット《東京風景 浅草寺》土井版画店 / ノエル・ヌエット《東京風景 池上本門寺》土井版画店
新版画の多彩な展開として、量は多くありませんが美人画も紹介されています。
明治後半に流行した雑誌口絵や挿絵の世界で、代表的な作家といえるのが鏑木清方。橋口五葉も美人画の新版画を数多く制作しました。
目を引いたのが『大近松全集』の附録になった木版画シリーズ。北野恒富、中澤弘光、岡田三郎助、上村松園ら、絵師は洋画家も含むバラエティに富んだ人選。個性的な美人が並びます。
『大近松全集』木版附録
会場の後半ではコレクターの紹介や木版画の制作手法について。「異版」など、複製芸術である版画ならではの制作についても、楽しく説明されています。
出口にある特別出品の陶板絵もお見逃しなく。《大倉孫兵衛旧蔵錦絵画帖》の画帖1の作品をモチーフに、大倉陶園が現代の技術で陶板絵を作りました。
「異版」の解説
特別出品の陶板絵
開国と同時に、海外から強い関心を集めた日本の版画。明治末以降の木版画は「海外が求めた日本の姿」を積極的に発信していきました。「日本イメージの形成」という点でも、興味をひかれる展覧会でした。
特筆したいのが、会場入口の動画です。展覧会を担当した角田学芸員が自らカメラを持ち、歩きながら展覧会を解説しています。何が見どころか、どこが凄いのか、展覧会のポイントが一目瞭然。手間がかかったと思いますが、素晴らしい試みです。ぜひ会場でご覧ください。
※特別展会場内の人数が40人を超えないように人数制限を行う予定です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年8月25日 ]