東京・原宿の太田記念美術館、長野・松本の日本浮世絵博物館、そして平木浮世絵財団。いずれも質が高い浮世絵を数多く所蔵し、日本屈指の浮世絵コレクションとして知られています。
本展はこの3者からそれぞれ約150点、約450点を揃えた豪華な浮世絵展(前・後期を通じて)。日本三大浮世絵コレクションが一堂に展観されるのは初めてのこころみです。
会場入口
会場は年代順の5章構成。第1章「初期浮世絵」からスタートします。
浮世絵版画の第一歩は、延宝期(1673~81)頃の「墨摺絵」。丹で筆彩色を施した「丹絵」、丹にかわって紅を用いた「紅絵」、黒色部分に膠を混ぜた「漆絵」など、徐々に進歩していきます。
延享期(1744~48)頃には、紅や緑の色版も用いた「紅摺絵」が登場。後の錦絵の土台になりました。
この章で紹介されているのは、浮世絵の祖・菱川師宣をはじめ、懐月堂派、鳥居派など。石川豊信の繊細な作品にも注目です。
第1章「初期浮世絵」
第1章「初期浮世絵」
第2章は「錦絵の誕生」。錦絵こと多色摺の版画は、明和2年(1765)頃に登場。私的な摺物である絵暦の交換が流行し、美しい絵暦が求められる中で誕生しました。
初期の錦絵を牽引したのが、鈴木春信。中性的な美人は大評判となり、多くの追随者が生まれました。
見逃せないのが、史上初の3点同時出品となる鈴木春重の「雪月花」(展示期間:7/23~8/23)。鈴木春重は、銅版画や洋画を描いた司馬江漢と同一人物。鈴木春信が没した後、春重と名乗って春信風の美人を数多く描いていました。
第2章「錦絵の誕生」
第2章「錦絵の誕生」
次いで第3章「美人画・役者絵の展開」。天明・寛政期(1781-1801)は浮世絵の黄金期と言われます。
天明期に鳥居清長は八頭身の美人画を描き、寛政期には喜多川歌麿が大首絵の美人画で評判に。上品な美人画を描いた鳥文斎栄之は、歌麿のライバルといえる存在です。
この時代で特筆されるのが東洲斎写楽。個性的な役者絵は海外でも高く評価されていますが、当時の評判は今ひとつ。わずか1年足らずの活動期間でした。
第3章「美人画・役者絵の展開」
第3章「美人画・役者絵の展開」
第4章は「多様化する表現」。文化・文政期(1804~30)の浮世絵版画は円熟の時代を迎え、おおらかな雰囲気から細密な描写に。画面の構成も工夫が見られるようになるなど、レベルが明らかに向上していきます。
歌麿の没後、菊川英山は儚げな美人画を制作。逆に弟子の渓斎英泉は退廃の雰囲気がただよう妖艶な美人を描きました。
歌川豊国から大きく広がっていった歌川派。中でも国貞は美人画や役者絵で活躍、豊国を襲名して長期にわたって活動しました。江戸の人々からも圧倒的な支持を集め、文字通りの第一人者でした。
第4章「多様化する表現」
第4章「多様化する表現」
最後の第5章は「自然描写と物語の世界」。世界で知られる浮世絵が数多く生まれたのは、江戸時代の浮世絵版画としては終盤にあたる天保期(1831~45)以降です。
“世界一有名な日本のアーティスト”である葛飾北斎の「冨嶽三十六景」シリーズ、ゴッホも模写した歌川広重の「東海道五拾三次之内」シリーズは、ともにこの時代。それまでの説明的な名所絵とは異なり、風景画が新たなジャンルとして確立されました。
近年、大きな人気を集めているのが歌川国芳。得意とした武者絵では、物語性豊かな描写が光ります。ユーモアあふれる戯画もふくめ、独自の道を開拓しました。
第5章「自然描写と物語の世界」
第5章「自然描写と物語の世界」
動画をご覧いただけばわかるように、会場はかなり特徴的な構成。時代ごとの章立てとは別に「精緻な摺物」と「団扇絵さまざま」が特集的な展示として紹介されており、迷路のような動線を浮世絵に包まれるように進んで行く事になります。
展覧会の準備の終盤になってコロナ禍となった本展ですが、無事に開催に至った事が何よりです。会期は当初予定より延びて9月22日(火・祝)までとなりましたが、日時指定入場制となり、チケットは展覧会公式サイトからのみ購入可能。東京都美術館内での販売はありませんので、ご注意ください。
※前期(7/23~8/23)と後期(8/25~9/22)で、全作品が展示替えされます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年7月22日 ]