病弱で制作からたびたび遠ざかり、画壇とも距離を置いていた橘小夢。長い間「幻の画家」とされていましたが、
弥生美術館で22年前(1993年)に展覧会を開催したところ、その「妖しく美しい」女性像が評判に。近年は展覧会で取り上げられる機会も増えてきました。
今回は久しぶりの大回顧展、新たに見つかった作品を含め、約200点を紹介しています。
1階展示室橘小夢は秋田生まれ。川端画学校で日本画を学び、当初は挿絵や版画で活躍しました。
「どんな人間でも、自己の国土や郷里を愛さない者はいないだろう。それと同じやうに其国土の伝説や俚謡(りよう:民謡と同義)に耳を傾けない者はいないだろう」と話し、日本の伝説を愛した小夢。その嗜好は創作にも現れ、会場には玉藻前(たまものまえ)、八百屋お七、唐人お吉、お蝶夫人などの作品が並びます。
河童がしがみつく女性が水の底に沈んでいく《水魔》は、昭和7年に発禁処分を受けた作品。直接的に風紀を乱す作風とは思えませんが、耽美の色が濃い小夢の作品は、軍靴の音が大きくなる時代には受け入れ難いものでした。
動画最後が、発禁処分を受けた《水魔》初めての画集の出版が計画されていた矢先に、関東大震災に見舞われた小夢。自身は難を逃れたものの、原画を預けていた出版社が焼失し、多くの作品が失われていました。
そのため、この時期の小夢の主要作品は数が多くありませんが、本展を機に
弥生美術館の中村圭子学芸員が小夢の故郷である秋田県を調査。愛好家の遺族宅などから多くの作品を発見し、うち21点が本展で紹介されています。
《花魁》も今回の調査で見つかった作品。関東大震災の8ケ月前に描かれたものなので、幸いにも秋田にあったため難を逃れました。
色っぽい仕草で盃を持つ花魁、着物の模様は胡粉の盛り上がりもはっきりと残り、鮮やかな色彩が目をひきます。
発見された《花魁》は、非常に美しい作品昭和20年代の装幀の仕事の後、画家としての活動から遠ざかっていた小夢。昭和30年代に入ると、子どもたちに形見としての作品を残そうと、再び絵筆を取りました。
会場最後の屏風絵《地獄太夫》は、昭和35年頃の作品。小夢の地獄太夫は、衣装の凄惨な地獄絵とは対照的に、得意の美人は涼やかな顔つきです。
《地獄太夫》は、晩年の作品耽美的な作風の画家は創作期間が短い事が多いのですが、小夢は病気による中断はあったものの、例外的に長く創作を続けました。新発見作品も掲載されている展覧会図録は、一般書籍として発売中です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月8日 ]