デ・キリコはギリシャ生まれ(ただ両親ともイタリア人なので、イタリア人画家です)。ミュンヘンで美術を学び、パリで画家としてデビューしました。
デ・キリコが初期に描いた作品が「形而上絵画」といわれる一群。歪んだ遠近法による空間にマネキンや石膏像などが並び、神秘的で誌的な雰囲気は、後のシュルレアリストにも大きな影響を与えました。
第1章「序章:形而上絵画(メタフィジカ)の発見」ただ、デ・キリコは一つのスタイルに留まる画家ではありませんでした。
第一次世界大戦の後にヨーロッパで「秩序への回帰」の声が高ると、デ・キリコも古典技法に傾倒。14~15世紀のイタリア絵画を模写するなど、以前とはうってかわった作品を描き出します。
この章では多くの素描も展示。古代的な彫像や人物像、ドラクロワやゴヤの模写など、デ・キリコの関心が多岐にわたっていた事が分かります。
第2章「古典主義への回帰」1940年代初期、デ・キリコはルネサンス期の詩人やルーベンス作品に影響を受け、ネオ・バロック調の作品を描きました。
妻のイザベッラ・ファーをモデルにした裸婦像や、ルーベンス風の猛々しい馬などの作品が並びます。
第3章「ネオ・バロックの時代 ─ 「最良の画家」としてのデ・キリコ」この時代以降、キリコは自身の作品を「複製」するようになります。初期の形而上作品を描き直した作品は、「画業の発展」という考え方に反発する行為ともいえますが、批評家の中には創造力の枯渇を指摘する声もありました。
またこの時期のキリコは、彫刻も手掛けています。会場には自らの絵画世界の人物を立体にした作品も紹介されています。
第4章「再生 ─ 新形而上絵画(ネオ・メタフィジカ)」最終章は、デ・キリコ晩年の作品。60年代末から70年代初めにかけての作品には、太陽と月のモティーフが頻繁に登場。単純な様式と鮮明な色彩で、超現実主義の作風に至りました。
老いてもなお旺盛な創作意欲を持ち続けたデ・キリコですが、1978年、90歳の誕生日を迎えた数か月後に死去。ローマに埋葬されています。
第5章「永劫回帰 ─ アポリネールとジャン・コクトーの思い出」2011年にパリ市立近代美術館に寄贈された、デ・キリコの未亡人イザベッラの旧蔵品などを紹介する本展。作品の約8割は日本初公開という貴重な機会です。岩手・静岡と巡回して、東京展が最終会場となります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年10月24日 ]