“最後の浮世絵師”月岡芳年の展覧会が神戸ファッション美術館で始まった!
近代化へと向かう幕末から明治にかけて活躍した“最後の浮世絵師”月岡芳年(1839-92年)。江戸新橋にある丸屋町の商家に生まれ、12歳の時に武者絵で名を馳せた歌川国芳に入門しました。
本展覧会は、世界屈指の芳年コレクションとして知られる西井正氣氏の所蔵する作品で、芳年の初期から晩年にかけて、作品の変遷をたどることができるようになっています。
以下、特に印象深かった作品をご紹介していきます。
月岡芳年《英名二十八衆句 稲田九蔵新助》(慶応3年(1867年))
芳年といえば一般的には血だらけの人間を描いた“血みどろ絵”が有名です。
歌舞伎や講談などで上演される鮮血生々しい作品ばかりを集めた、「英名二十八衆句」という全28作品からなるシリーズの中でも、一番無惨な光景として知られているのがこちらのシーン。
描かれているのは、稲田幸蔵、稲葉幸蔵あるいは田舎小僧といった名前で歌舞伎や実録物に登場する稲葉小僧新助が、女性を吊し切りにするシーンです。
女性の体からは生々しい血が流れ、それは新助の足にも付着しています。
月岡芳年《魁題百撰相 冷泉判官隆豊》(明治元年(1868年))
「魁題百撰相(かいだいひゃくせんそう)」は、先ほどご紹介した英名二十八衆句と同じく、“血みどろ絵”として有名なシリーズで、南北朝時代から江戸時代初期までの戦乱に関わった人物が描かれています。
歴史上の人物を紹介する体裁をとっていますが、実は描かれているのは旧幕府軍と明治新政府軍との戦いが題材になっています。
こちらの作品に描かれているのは、戦国大名大内義隆の家臣・冷泉隆豊が自決するシーンです。
隆豊は、腹を切り、自分の臓物を大寧寺の天井へ投げつけ、陶晴賢(すえはるかた)を呪ったそうです。
唇を真っ青にしながらお腹から出た自分の臓器を投げつける、想像するだけで背筋がゾクッとしますよね。
芳年といえば、こうした“血みどろ絵”のイメージが強いですが、実はグロテスクな作品が制作されたのは20代の3年間だけなんだとか。
にもかかわらず、これだけのイメージを持たれるというのは、芳年の作品がそれだけ真に迫り、強烈だったということでしょう。
さて、この展覧会では、他にも芳年の歴史画や妖怪絵、美人画など多数展示されています。
月岡芳年《風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間 妻君之風俗》(明治21年(1888年))
こちらは芳年の「風俗三十二相」シリーズ中、唯一の洋装の美人画です。
顔の表現は着物を着た美人画と変わりないですが、頭には花があしらわれた帽子をかぶり、紫色のテーラードカラーのジャケットを羽織った鹿鳴館スタイル。
明治16年(1883年)に完成した鹿鳴館での舞踏会には特権階級の女性たちがこのような出で立ちで出席したそうです。現代の目線で見ると、どこかあべこべな印象を受けますよね。
最後に、展覧会風景をご紹介します。
激動の時代に想いを馳せながら、芳年の躍動感あふれる作品をじっくりとご堪能ください。
エリアレポーターのご紹介
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胤森由梨
美術が大好きなアートライターです。美術鑑賞に関わる仕事を広げていきたいと思っています。現在、instagram「tanemo0417」「artgram1001」でもアート情報を発信中です! ブログ「たねもーのアート録」http://tanemo-art.com/
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