研究対象の「シャミセンガイ」を含む腕足類が日本に豊富に生息することを知り、1877(明治10)年に初来日したモース。来日してすぐ乗った汽車の窓から大森貝塚を発見し、内外から高い評価を得ました。
会場入口からモースは好奇心が旺盛で、講義や研究の合間に各地をまわりました。その中で目にした庶民の素朴な暮らしに、次第に心を奪われていきます。
3度の来日で北海道から鹿児島まで訪れ、数多くの品々を収集。本国に持ち帰り、自身が館長を務めたピーボディー科学アカデミー(現ピーボディー・エセックス博物館)と、ボストン美術館に収蔵されました。
第2章「日本と日本人」その品々は第2章「日本と日本人」で展示。「すまい」「こども」など、種類別に紹介されています。
「よそおう」には髪飾り、化粧道具、団扇や扇子など。モースが来日したのは文明開化の時期ですが、庶民は依然として江戸時代末期と変わらない装いでした。
「たべる」は海苔やいなごの佃煮など、明治時代の食品がそのまま残されている驚くべきコレクション。缶入りの海苔は茶色に変色しているものの、海苔の形がきちんと残っています。
明治時代の海苔にはビックリ展覧会の目玉のひとつが「生き人形」。まるで生きているかのような人形は、幕末から明治にかけての見世物興行で大流行しました。モースも見世物が大好きで計8体の「生き人形」を収集、うち3体が来日しています。
モースが見ていた当時の「生き人形」の見世物は、物語風の演出に音楽も流れる賑やかなものでしたが、本展では静寂の中での展示。肌の色、皮膚の張りや皺、そして表情も含め、あまりにもリアルで恐ろしく感じるほどです
「生き人形」展示された品々と同じぐらい心に残るのは、モースが残した言葉です。
「この地球の表面に棲息する文明人で、日本人ほど、自然のあらゆる形況を愛する国民はいない」
「日本ほど子供が親切に取り扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国はない」
「私は今までにこんなに人が働くのを見たことがない」
130年前、国力では大きな差があったにも関わらず、絶賛された日本の人々。経済面では追いつきましたが、今でも私たちはこの賞賛を受けることができるでしょうか。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2013年9月13日 ]