「世界記憶遺産」は、建造物や自然が対象の「世界遺産」、慣習や伝統、儀式などが対象の「世界無形文化遺産」と並ぶユネスコの保存事業です。後世に伝えるべき価値を持ちながら毀損・消滅する恐れが大きい歴史的文書や記録物が対象で、今までに「アンネの日記」や「グリム童話原稿」などが登録されています。
山本作兵衛の件は、その作品を見たユネスコ関係者らが世界記憶遺産への申請を勧めたのを機に、福岡県田川市と福岡県立大学が共同で登録を推薦。2011年5月25日に計697点が日本初の世界記憶遺産として登録されました。
第1章:世界記憶遺産「山本作兵衛コレクション」には、世界記憶遺産の登録証(複製)も展示されている山本作兵衛は明治25年、石炭産地である福岡県の筑豊地域に誕生。7~8才から父について炭坑に入り、昭和30年に炭坑が閉山するまで、約50年間、延べ21の炭坑で働きました。
作兵衛が絵筆を握ったのは60代半ばの昭和33年。炭坑夫を引退していた作兵衛が、自分の経験を孫に伝えようと描き始めたのがきっかけです。
作兵衛の正確で緻密な記録は注目を集め、出版物やテレビなどでも紹介されるように。昭和59年に92歳で死去するまで、1,000点以上の炭坑記録画を描いたと言われています。
世界記憶遺産に登録された作品の複製画作兵衛の絵は、実際に経験した人でないと分からない出来事を臨場感たっぷりに描写しています。人物はどことなくユーモラスにも見えますが、描かれている場面は想像を絶するような過酷な日常です。
当時の日本についての記録は政府や企業等の公式文書がほとんどで、私的な記録は希少です。それが「世界的に歴史的な重要性が高い時代を実際に生きた一人の人間の視点に基づく真正な記録」と評価され、世界記憶遺産に登録されました。
第4章:炭坑記録画展覧会は6章構成です。世界記憶遺産に認定された物件は外部への出品・展示が厳しく制限されていますが、本展では登録後に発見された作品など原画59点と、登録作品の複製画10点を紹介。第5章には作兵衛の遺品なども展示されています。
第5章:人間・山本作兵衛実は作兵衛が絵筆を握った昭和33(1958)年は、東京タワー開業の年。長嶋茂雄がデビューし、天皇・皇后両陛下が婚約。ホンダのスーパーカブ、富士重工業のスバル360もこの年の発売でした。第6章では昭和33年の街角風景も再現。日本が経済大国へ転換した記念すべき年も振り返っています。(取材:2013年3月14日)
記録画:©Yamamoto Family
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