歴代の皇帝が愛好した王羲之の書。宮中で収集された書は、後に戦乱などによって失われたため、現在まで伝わる真跡(肉筆)はひとつもありません。
往時の字姿を伝えるのが、数々の模本。中でも唐時代の摸本「双鉤塡墨」(そうこうてんぼく)は、全体の輪郭を敷き写した後に、髪の毛ほどの線を重ねて中に墨を塗っていくもので、原本のカスレまでも写し取る超絶技法です。これほどの手間がかかる手法を、当時は国家的な事業として行っていました。
現在「双鉤塡墨」は世界で十指ほどしか残っていませんが、うち5点が本展で展示されます(展示替えがあります)。中でも「大報帖」(だいほうじょう)は、本展の準備中の調査で新発見されたもの。王羲之の新資料としては40年ぶりの発見、もちろん世界初公開です。
第一章「王羲之の書の実像」 「大報帖」も、ここで紹介さています王羲之の最高傑作として知られる「蘭亭序」(らんていじょ)。会場では第二章「さまざまな蘭亭序」で紹介されています。
永和9(353)年、王羲之は名士41人を招いて雅宴を行いました。宴は、上流から觴(さかずき)が流れ着くとその酒を飲み、詩を賦(ふ)すというもの。詩が出来上がらなければ、罰として大きな觴の酒を飲む趣向です。
2編の詩を作った者が11人、1編が15人、できなかった者は16人。酒興に乗じた王羲之は、この詩会でなった詩集の序文を揮毫(きごう)、これが世に名高い蘭亭序となりました。ちなみに王羲之は酔いが醒めてから何度も蘭亭序を書き直しましたが、これ以上の作はできなかったといいます。
第二章「さまざまな蘭亭序」会場内では、王羲之のエピソードもパネルで紹介されています。「子供時代は引っ込み思案」「ガチョウ好き」「王羲之でもスランプになったことがある」「晩年は漢方薬マニアだった」など、書聖を身近に感じられる10篇です。
第三章「王羲之書法の受容と展開」元は占いの記録として甲骨に刻まれていた漢字。4世紀に登場した王羲之によって、さまざまな書体が飛躍的に洗練され、その一部は遣唐使を通じて日本にも伝来しました。王羲之が亡くなってから1600年以上経っていますが、今でも教科書に載っているなど、学校教育の現場で手本として利用されています。(取材:2013年1月21日)