船田玉樹(本名:信夫)は1912(大正元)年、広島生まれ。画業の初期は油彩でしたが、琳派の展覧会に感銘を受けて日本画への転向を決意。速水御舟、小林古径に師事します。
従来の手法に留まらない革新的な作品も発表し、1928(昭和13)年には岩橋英遠や丸木位里らと「歴程美術協会」を結成。シュルレアリスムや抽象主義なども積極的に取り入れました。
会場1944(昭和19)年に入隊も、健康上の理由で除隊。広島に帰り、以後は生涯故郷で創作を続けました。
終戦後には日本美術院展(院展)に復帰。次々に大作を発表していきますが、大画面化を批判する声に反発して1963(昭和34)年に院展を脱退、サイズ制限がなかった振興美術院で作品を発表するようになりました。
展覧会にもかなり大きな作品が多数展示されています。
会場玉樹は還暦を過ぎた1974(昭和49)年暮れに、クモ膜下出血で倒れてしまいます。一時は目も見えず、医師からも回復の見込みが低いと告げられました。
奇跡的に快方に向かうも、肝心の右半身が不自由に。それでも玉樹は右手での創作にこだわり、油彩での自画像からはじめて懸命に描き続け、ついには以前の感覚まで回復していきました。
会場大病の後の玉樹は、絵のみに集中する制作三昧の生活となります。
下の動画でご紹介する満開の桜を描いた《枝垂れ桜》も、回復後の作品。描かれているのは静かな大樹ですが、強い迫力で私たちに迫ってきます。屏風の下に置かれた台に映る桜も美しく、まさに「精緻にして絢爛、端麗にして華美、そして豪胆」な境地に達しています。
《枝垂れ桜》展覧会では“「画神」に取り憑かれた画家”とも紹介されていた玉樹。それほど知られているとは言えない作家ですが、優れた企画展を連発している
練馬区立美術館らしい、見ごたえがある展覧会です。(取材:2012年7月24日)