大伴昌司の本名は、四至本豊治(ししもと とよじ)。父は著名なジャーナリストの四至本八郎、母の四至本アイもジャーナリストですが、大伴はその出自を友人らにも明かしませんでした。
父の仕事の関係で幼少時はメキシコに滞在。早くから推理小説や怪奇小説に親しみ、映画好きであったことから、ミステリやSF雑誌のライターとして活躍。またテレビの構成・脚本も手掛けるなど、多彩なジャンルで才能を発揮しました
会場1階 「ウルトラシリーズ」の怪獣図解 ©円谷プロ数々の顔を持つ大伴ですが、最も知られているのは“怪獣博士”でしょうか。展覧会冒頭で紹介されています。
戦闘機や戦車の構造が図解されたことはありますが、大伴は想像の産物であるウルトラ怪獣を図解し、なぜ火を噴けるのか、なぜ物を凍らせられるのかを体内の仕組みから解説しました。
子どもの「なぜ?」の気持ちに答えたこの企画は大ヒット。大伴が手がけた単行本「怪獣図鑑」は浩宮さま(現皇太子)が初めて自分で買った本としても話題になりました。
「ウルトラシリーズ」の怪獣図解 ©円谷プロ2階の“大伴流大図解の世界”では、少年雑誌の図解特集・巻頭グラビア特集が紹介されています。
冷戦時代の当時、第三次世界大戦の懸念から囁かれていた地球終末予想の紹介や、情報社会到来を予期した企画。さらに横尾忠則をはじめとした現代アートを起用した特集、学童疎開などの過去を振り返る企画、オーディオなどのマニアック企画など、自らの趣味性も反映したさまざまな企画は、当時の読者に強烈な印象を与えました。
会場2階最後の仕事となったのが、円谷英二の写真集です。1970年に円谷英二が死去した際、葬儀の際に大伴が発した不用意な一言がスポーツ紙に興味本位に取り上げられ、長男の円谷一氏が激怒。大伴は円谷プロに出入り禁止になってしまいます。
小学館の編集者が仲立ちとなり、和解の意味も込めてつくられたのがこの写真集です。大伴は編集・レイアウト・装丁に至るまでこの本の完成に情熱を注ぎますが、見本誌ができあがった直後に持病の喘息の発作で急逝。36歳の若さで英二のもとへと旅立ってしまいました。
最後の仕事となった円谷英二の写真集 ©円谷プロ大伴の影響を受けた著名人は少なくありません。大伴を「クールジャパンの元祖」と評した村上隆さん、大伴に影響されて「キース・リチャーズ解剖図」を描いたみうらじゅんさんなど。
現在、
東京都現代美術館では「館長 庵野秀明 特撮博物館」、
埼玉県立近代美術館でも「ウルトラマン・アート!展」が開催されており、今年は怪獣・特撮ものの当たり年です。
この手のものは、筆者も含めて「元」男の子のハートをくすぐります。
弥生美術館もいつもより男性の姿が多く見られるそうです。(取材:2012年7月11日)