日本における前衛のパイオニア、吉原治良をリーダーに結成された具体美術協会(以下、具体)。絵具を投げつける嶋本昭三、電球を身にまとう田中敦子など、アーティストは競うように斬新な作品を発表しました。
中でも大きな注目を集めたのが、白髪一雄の「フット・ペインティング」。ロープにぶら下がりながら、床に広げた支持体に足で描くという驚愕の手法で、原始的なエネルギーに満ちた作品を生み出しました。
本展では絵画約59点をはじめ、実験的な立体作品、パフォーマンスの映像、ドローイングや資料などを紹介。総数130点で活動の全貌に迫ります。
白髪は1924年、兵庫県尼崎市生まれ。地元のだんじり祭りは激しいぶつかりあいで知られ、そのエネルギーや血のイメージは、後の創作にも影響を与えたといいます。
京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)で日本画を学ぶも、後に油彩に転向。実家の呉服商の店番をしながら描く「店番絵画」の制作をはじめます。
1952年には大阪で発足した「現代美術懇談会(ゲンビ)」に参加。村上三郎、金山明、田中敦子らと活動を進めます。
1953年頃に、失敗した作品からナイフで絵具をこそぎ落とした際の文様に触発され、抽象作品を手がけるように。指や爪を使った作品から、さらに新鮮な感覚を求めて生まれたのが、フット・ペインティングでした。
天井から吊ったロープは、最初は滑って転ぶのを防ぐ目的でした。後にぶら下がって振り子のように描くなど、よりダイナミックな方法に変化していきます。
具体に参加したのは、1955年。具体のリーダー、吉原治良は「人のまねはするな」がモットーでしたが、白髪は具体に入る前からフット・ペインティングを行っていた事になります。
1959年からは作品タイトルが、幼少期に親しんだ「水滸伝」由来に。作風も、より勇壮さや血なまぐささを感じさせるようになります。
1965年頃から、スキージをコンパスのように用いて扇形や半円を描くように。これらは1974年頃に頂点を迎えます。
重要な出来事といえるのが、仏教とのかかわり。密教への関心から延暦寺で得度し、天台宗僧侶の基本修行「四度加行」も満行しています。その思想は作品にも表れており、仏教が説く十界をテーマにしたシリーズを制作しています。
1979年からは、本格的にフット・ペインティングに復帰。1984年頃~90年代なかばには、黒、または黒と白のみの作品にもとりくみます。また一方で鮮やかな色彩の作品も増えていきました。
白髪は最晩年まで、国内はもちろんパリやロンドン、ベルリンなど海外でも積極的に個展を開催しました。2008年に84歳で没した後も内外の美術館・画廊で多くの個展のほか、「具体」の回顧展ではその作品が何度も紹介されています。
白髪は生涯を尼崎で暮らした事から、尼崎市は2013年に「白髪一雄記念室」を開設。作品の展示や調査・研究のほか、市内の児童や園児を中心に、足で描くアクション・ペインティング講座も行っているそうです。
地元が生んだ世界的アーティストにちなんだ、足で描く美術講座。尼崎市の子どもが、少しうらやましいです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2020年1月16日 ]