名古屋市美術館で「𠮷本作次 絵画の道行き」展が始まりました。本展は、1980年代から現在まで、40年余にわたる𠮷本の制作の歩みを、約200点の作品で振り返ります(約100点はドローイング)。
𠮷本は岐阜県出身の画家です。東海地方の美術館では、時々、コレクション展で見る機会がありますが、初期の作品はあまり鑑賞する機会がなかったので、とても新鮮です。意外なことに、公立美術館としては初めての回顧展となります。
美術館入口
𠮷本は名古屋芸術大学で、後進の育成にもあたっています。𠮷本の指導を受けた作家の中には、名古屋市美術館で開催された「ポジション展」や、「あいちトリエンナーレ」に出展した作家もいます。
なお、本展は巡回する予定がないので、本展を機会に名古屋までお出かけいただき、ぜひ実物を鑑賞していただきたいと思います。
本展は、制作年代順に「1980年代」、「1990年代」、「2000年以降」、「2019年以降」、「ドローイングについて」の5章で構成されています。 それでは、順番に見ていきましょう。
第1章「1980年代」
暗幕をくぐり展示室に入ると、黒くて大きな作品が目に入ります。横たわる人物が描かれたもの、描かれた人物を覆うように画面に布がコラージュされたもの、どちらも重厚でひんやりした空気感が伝わります。
さらに進むと、黒地の画面に、白く大きな十字をかたどった作品が見えます。(《サヴォナローラⅡ》)十字の中に描かれたものは、高い柱にぶら下げられた人体のようです。
左隣の作品も、黒地の画面に、青で小さく人物が描かれています。(《Strange Night》)どちらも強い緊張感と孤独感が漂います。
展示風景 左から《Strange Night》1986 《サヴォナローラⅡ》1985
左側の立ち姿の人物像の作品タイトルを見て、思わず、大きなお盆の上の物体に注目しました。(《サロメ》)作品タイトルになった戯曲のサロメの終盤で、彼女が手にするもの、それは洗礼者ヨハネの生首です。
展示風景 左から《サロメ》1985 《フック》1986 《Gifu》1986
このように、初期の作品には、緊張感と重圧、死の影が強く漂います。作品のモチーフとして狙ったものだとしても、周囲から注目されることへの心理的な重圧には、想像を超えるものがあります。そのような心象風景が、この時期の作品に現れているのでしょう。
突き当りの壁面にとても大きな作品が掛けられています。(《Three Valse》)これまでの作品とは、かなり雰囲気が変わってきたように思います。皆さんには、これが何に見えますか。
展示風景 中央《Three Valse》1989
第2章「1990年代」
この章は、展示される作品数が少なく、わずか5点のみです。当時の制作の様子は、章のパネルを見ていただくとして、これまでの作品の重苦しさとは、明らかに異なる作風に変化していることがわかります。見ている側も、少し肩の力を抜いて作品に向き合うことができるようになりました。
展示風景 左から《ひぐらし》1995 《銭湯》1997
画面には複数の人物が登場しますが、会話の声が聞こえてくる気配は感じられません。表情のユーモラスさとは裏腹に、以前の重苦しさが残っているようです。
第3章「2000年以降」
この時期の作品の配色は、ずいぶん明るくなりました。ユーモラスな人物たちは、ますます自由に動き回っています。中央の作品からは、静かな話声が聞こえてくるようです。(《楽園の宴会》)
のんびりとした、とても良い雰囲気が画面から伝わってきます。以前とは異なり、とても内省的な制作をしていたのではないでしょうか。
展示風景 左から《樹上講義》2002-2004 《楽園の宴会》2011 《春終日》1999
右側の砂浜と穏やかな海面を描いた作品からは、潮のにおいを含んだ緩やかな風が吹いてくるようです。画面の奥に大きな雲がかかり、砂浜に誰もいないので、海水浴シーズンの終わり頃だろうと思います。
第4章「2019年以降」
この時期の作品には、滝に打たれ、座禅を組む人物像がよく登場します。修行している人物は、おそらく𠮷本自身をモデルにしていると思います。
初期の作品に描かれた人物像には、自分自身に鋭い刃を向ける攻撃性を感じますが、この時期の修行する人物からは、淡々とした自己対話の深まりと穏やかさを感じます。
その違いは、𠮷本が長く取り組んできた絵画の道行きの末の闘い方の変化なのだろうと思います。
展示風景 《瀧のある村》2023-2024
2階の展示室の最後のコーナーに小品が数点展示されています。その一番左側の作品を見て、「どこかで見たような?」という気がしました。皆さんも、どこで見たか、思い出してください。きっと驚くと思います。
展示風景 左から《森の学者》2020 《海の挨拶》2009 《一汁一菜》2004
その他、制作にまつわる資料も展示されています。その中に屋外に展示された巨大な壁画のような看板の写真もあります。その背景に、名古屋名物として全国的に有名な飲食店のキャラクターが写っています。そのお店は矢場町の交差点の同じ場所で、今も繁盛しています。どのようなメニューで有名なお店か、見つけられますか。
展示資料
第5章「ドローイングについて」
地下の展示室には、膨大な量のドローイングが展示されています。展示しきれない分は、壁面のモニターで順次再生され、見ることができます。40年分のドローイングとは、どれくらいの分量になるのでしょうか。しばらく見ていましたが、見終わりませんでした。
展示風景 大量のドローイングの一部
本展の図録は、作品集も兼ね一般書籍として制作されるそうです。膨大な量のドローイングをデータ化したことも作品集のためなのでしょう。展覧会にかける熱意には素直に頭が下がります。
本展の鑑賞後、もうひとつの𠮷本の個展にも足を運んではいかがでしょうか。名古屋の栄のケンジタキ ギャラリーで「絵画の道行き Ⅱ」(4/19 〜6/8)を開催中です。(名古屋市美術館から徒歩で数分です)
その後、東京の六本木のケンジタキ ギャラリーでも「絵画の道行き Ⅲ」(5/17〜)を開催予定です。
常設展 名品コレクション展Ⅰ
現代美術のコーナーでは、桑山忠明と村上友晴が特集されています。こちらも、ぜひ時間をかけて鑑賞していただきたいと思います。
今回の展示を見ながら、幻の展覧会とも形容される「静けさの中から:桑山忠明/村上友晴」(2010年開催)のことを思い出しました。2人の作家は、ともに日本画から出発し、ミニマル・アートの文脈で国際的に評価される特徴的な表現に行きつきました。同じ年に開催された「あいちトリエンナーレ」の話題に隠れがちでしたが、「静けさの中から」を鑑賞できたのは幸運でした。
[ 取材・撮影・文:ひろ.すぎやま / 2024年4月6日 ]