千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(通称:歴博)。歴史学・考古学・民俗学を対象に調査・研究を進め、27万点(2021年現在)の収蔵資料を有しています。
通常の企画では、テーマに即した資料が紹介されますが、今回は資料そのものの「いろ・つや・かたち」に着目。れきはくとしては珍しいスタイルの展覧会が開催中です。
国立歴史民俗博物館「歴博色尽くし」
展覧会の会場入口には、目を引く大きな建築模型があります。国宝《醍醐寺五重塔》の彩色模型です。
1954〜1960年にかけて解体修理された醍醐寺五重塔の内部には、かつて曼荼羅とともに彩色が施されており、山崎昭二郎が彩色を復元しました。この模型は、文化庁の前身である文化財保護委員会による「国宝重要文化財等の模写模造」事業のひとつとして山崎が手がけたもので、本展で初公開となります。
(左)《醍醐寺五重塔彩色模型》昭和34年(1959)国立歴史民俗博物館
会場内に入ると、中にも大きな建築模型が。国宝《平等院鳳凰堂》の天井を支える組物の一部を復元した彩色模型です。
こちらは1950〜1957年の昭和修理の際に作成された複写図に基づき、川面稜一が彩色を施しました。山崎も川面も、文化庁の選定保存技術「建造物彩色」の保持者です。
なお、2012〜2014年の平成修理では新しい解釈が加わり、新しい彩色復元模写が作られています。
《平等院鳳凰堂斗栱彩色模型》昭和28年(1953)国立歴史民俗博物館
続いて、染織工芸の色について。ここでは、着物注文のための見本帳があります。
近世から近代の染織業者は、注文を受けるために色見本を作成することがありました。礼装においては、男性用は色見本だけですが、女性用は色だけでなく模様も併せた総合的な見本がつくられました。
《友禅染見本》明治時代 国立歴史民俗博物館
浮世絵版画の「赤絵」をご存じでしょうか? 文字通り、赤が多く使われた浮世絵ですが、全く異なる2つの「赤絵」があります。
ひとつは、疱瘡(天然痘)にかかった子どもの見舞いで描かれた「疱瘡絵」。症状のピークである「山あげ」と呼ばれる時期を過ぎれば快方することから、しばしば富士山が描かれました。
もうひとつは文明開化の時期に描かれた「開化絵」。安価に入手できるようになった毒々しい赤色が特徴で、浮世絵史では価値が低いとされていましたが、近年、見直しの動きも進んでいます。
(右手前)《憲法発布式祝祭図》小林幾英画 明治22年(1889)国立歴史民俗博物館(前後期各3枚展示)
漆工芸にもさまざまな色が見られます。前近代まで漆の色は限られていましたが、蒔絵や螺鈿といった工芸技術の発達により、煌びやかな表現が可能になりました。
貝殻内部の真珠層の部分を板状に切りとって文様部分に嵌め込む螺鈿では、真珠層の自然な色を楽しむだけでなく、貝の薄板の下にカラフルな着色を施し、ガラス絵のように絵画を透かす手法も生まれました。
《花鳥螺鈿大型円卓》江戸~明治時代 国立歴史民俗博物館
一気に時代はさかのぼって、古墳時代の色について。古墳時代には鉄器、須恵器、馬など、さまざまな道具が広がり、日本列島の社会は大きく変化していきました。
古墳時代後期(6世紀)になると、赤・白・青(緑)・黄で彩色を構成した装飾古墳が九州に出現しました。三角や円紋などの幾何学紋様、盾や靫(ゆき)などの「もの」に加え、人物や動物を交えた情景も表現されています。
(左手前)《王塚古墳 前室正面戸口右側壁復元模写》原品:古墳時代 国立歴史民俗博物館
展覧会の最後は、なんと隕石。人類の鉄利用は、鉄とニッケルの合金である隕鉄(鉄隕石)から始まったとされています。
隕鉄にどの程度の加工が可能なのか、研究の成果としてつくられたのが、脇差「天降剱(あふりのつるぎ)」です。隕鉄だけを原料に、日本刀と同様に折り返し鍛錬を繰り返してつくられた、世界唯一の刀剣です。
《ギボン隕鉄製の脇差「天降剱(あふりのつるぎ)」》平成8年(1996) 国立歴史民俗博物館
展覧会では「色」を大きな意味でとらえ、赤、黄、青などの「いろ」だけでなく、素材のもつ質感や微細な構造がかもす「つや」、そしてそれらの組み合わせがつくる「かたち」までを含めて考察。普段の展覧会ではなかなか展示されることがない、珍しい資料が揃った展覧会です。
歴博がある佐倉城址公園は、絶好のお花見スポット。「花見のついでで良いので、ぜひ歴博に」と、西谷館長は謙遜していましたが、展覧会も見応えバッチリです。なお、お花見の時期は周辺道路が渋滞しますので、ご注意ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2024年3月11日 ]