開館当初からデザイン椅子の名品を館内に設置し、「椅子の美術館」と言える埼玉県立近代美術館。デザイナーや建築家でなく、現代アーティストにとっても魅力的なモチーフと言える「椅子」をテーマにした展覧会がはじまりました。
埼玉県立近代美術館「アブソリュート・チェアーズ」
会場は5つの章で構成。椅子に関する国内外の28組の作家により、平面・立体・映像作品、83点を紹介しています。
第1章は「美術館の座れない椅子」。木製のスツールの座面に自転車の車輪が固定されたマルセル・デュシャンの《自転車の車輪》は、既存品を美術作品に転用した「レディメイド」として最初のもの。椅子の機能から逸脱したことで、機能性や合理性の枠を超えた造形表現を可能にしたコンセプチュアルな表現となっています。
第1章「美術館の座れない椅子」
カラフルな色合いの椅子の連なりは、スコットランドのアーティスト、ジム・ランビーによる《トレイン イン ヴェイン》。作家が拠点としているグラスゴーで入手した椅子やハンドバッグの中古品を用いたこの作品は、原美術館で2008年に開催された展覧会のために制作。
本来の用途と異なる姿となった日用品や家具は、加工され組み替えられることで美術作品としての機能が付与されました。
ジム・ランビー《トレイン イン ヴェイン》2008年 公益財団法人アルカンシエール美術財団 / 原美術館コレクション
椅子は様々な姿勢をとる身体に沿って、その重みを支えます。第2章「身体をなぞる椅子」では、椅子と身体との関係を読み解きます。
フランシス・ベーコンによる作品に描かれた歪められた身体は、瞬間的に現れては逃げ去るイメージの表現です。知性に働きかける写実的な絵に対して、デフォルメされた絵は感覚や神経に直接訴え、強烈なリアリティを与えるとベーコンは語っています。
西洋社会において椅子は、権力の象徴として機能してきました。王座は君主や高位の人物を支え、威厳を示すものであり、アーティストたちにとって関心を寄せるモチーフでもありました。アンディ・ウォーホルは有名無名の人々の死を扱った「死と惨禍」シリーズの一環として、1963年から電気椅子を主題としてきました。
第3章「権力を可視化する椅子」では、ほかにも内戦で残された銃を使用した椅子や人体を拘束するための拷問器具を想起させる椅子が並んでいます。
(左から)アンディ・ウォーホル《電気椅子》1971年 滋賀県立美術館 / クリストヴァオ・カニャヴァート(ケスター)《肘掛け椅子》2012年 国立民族学博物館
一方で、プライベートな空間に置かれた椅子には、家族の団欒や一人時間のためのものなど暮らす人々によって役割が異なります。第4章「物語る椅子」では生活の延長線上にある役割を前提として、生活の痕跡や記憶を宿す椅子を展示しています。
日常的なものに光を当てたYU SORAは、身の回りの家具や日用品の形を白い布と黒い刺繍で表現。椅子の上に無造作に置かれた衣服から、日常の断片を象徴し鑑賞者それぞれが持つ記憶を甦らせる働きかけがあります。
YU SORA《my room》2019年 作家蔵
透明の樹脂で封印された、ナフタレンで象られた白い椅子は宮永愛子によるもの。 建物や人々の歴史と記憶が刻まれた椅子をモチーフに、椅子が歩んだこれまでの時間や作家が費やした制作時間など、人間の営為を物語っています。
(左から)名和晃平《Pix Cell-Tarot Reading(Jan.2023)》2023年 / ハンス・オブ・デ・ビーク《眠る少女》2017年 タグチアートコレクション/タグチ現代芸術基金 / 宮永愛子《witing for awakening -chair-》2017年
第5章「関係をつくる椅子」では、日常生活における重要な機能である他者との関係をつくることに焦点を当てます。
椅子に向き合って並ぶことで、そこにはコミュニケーションが生まれる場面が想定されます。山田毅と矢津吉隆によるユニット“副産物産店”による椅子は、廃材を再編成して制作。会場では椅子に座りながら、観客同士のコミュニケーションの場となることを狙いとしています。
副産物産店による椅子
車椅子ユーザーの檜皮一彦は、車椅子を素材とした制作を行いながら、全国各地で「walkingpractice」というプロジェクトを実践。ルールやシナリオに沿って参加者が協力しながら車椅子を目的地まで運搬することを目指します。
展示作品は、地震に被災した場合の「避難訓練」をテーマにしたプロジェクトの記録映像。荒川河川敷から3か所を経由しながら7キロ先の埼玉県立近代美術館へ向かいます。肉体的な疲労、都市の障壁が自明になっていくことで、共に生きるための歩行練習を体感することができます。
檜皮一彦《walkingpractice / CODE: Evacuation_drills[SPEC_MOMAS]》2024年 作家蔵
美術館のセンターホールには、カナダ出身のアーティスト、ミシェル・ドゥ・ブロワンによる新作を展示。タイトルは普段私たちの身体を守っている免疫細胞の一種を指し、コレクティブな表現として約40の椅子を球体につくりあげています。
ドゥ・ブロワンの作品は、無料エリアのため、どなたでも自由にご覧いただけます。また、会場内でも、撮影の可能な作品が多数あります。アートにおける椅子の魅力は何なのか、多様な椅子を楽しめる展示です。
ミシェル・ドゥ・ブロワン《樹状細胞》2024年
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2024年2月17日 ]