版画からインスタレーションまで、幅広い表現で積極的に活動を続けている荒木珠奈(1970-)。私たちの心の底にある懐かしい感覚や感情、記憶を揺さぶるような作品を数多く発表してきました。
東京都美術館で開催中の展覧会では、これまでに発表された作品に加え、開催地である「上野の記憶」に着想を得た、大型のインスタレーション作品も登場しています。
東京都美術館 うえののそこから「はじまり、はじまり」荒木珠奈 展
荒木は東京生まれ、武蔵野美術大学卒業。1993-1994年と2004-2005年の二度にわたってメキシコに滞在。2012年からはニューヨークに拠点を移し、意識的に「移民」として暮らしています。
会場は4章構成で、第1章「旅の『はじまり、はじまり!』」から。ここには家をモチーフにした版画などが並びます。
第1章「旅の『はじまり、はじまり!』」
会場奥の《Caos poetico(詩的な混沌)》は、鑑賞者も参加できるインスタレーション作品です。スタッフから電気コードがついた家を渡され、好きなところにつけると、その家に灯りがともります。
作品は、電柱から無断で電線を引き、家や屋台の灯りに使っていたメキシコの人々のたくましい暮らしから着想したものです。色とりどりの光は、それぞれの家で育まれている異なる暮らしを思わせます。
《Caos poetico(詩的な混沌)》 2005 東京都現代美術館蔵
第2章「柔らかな灯りに潜む闇」は、2つのインスタレーション作品。最初の作品《うち》は、荒木が幼い頃に住んでいた団地から着想したもので、こちらも参加型の作品です。
壁面には白いベニヤで作られた小さな箱が並び、南京錠で鍵がかけられています。鑑賞者が選んだカギで扉を開けると、ほんのりと灯りがともり、家を思わせるイメージを照らします。
《うち》1999
もうひとつの《見えない》は、壁を伝うように、得体の知れない黒い物質が広がっている作品です。東日本大震災による原子力発電所の事故で、目には見えない不安感を視覚化しました。
隣り合わせに並ぶ、ふたつの作品。安心な暮らしと、それを一変させる災害は常に近くにあります。
《見えない》2011
下のフロアに進み、第3章は「物語の世界、国境を越える蝶」。異世界である「サーカス」の芸人たち、ストップモーションのアニメ映像、異なる世界をつなぐ「舟」や「虹」をモチーフにした版画など。多彩な創作の中には、ちょっとユーモラスな作品もありました。
《牛レストラン》2001
近年の荒木がモチーフにしているのが、越冬のため北米とメキシコを移動するモナルカ蝶です。国境を行きかう人々や、国境を越えようとして越えられない人々の姿を重ねています。
蝶の羽を模したテントは、外国や日本にルーツを持つこどもたちを対象に、2022年に東京都美術館で行ったワークショップで作られたものです。近寄って見ると、こどもたちの手の跡も残っています。
《むかし、むかし…》2022
展覧会の目玉といえるのが、最後の第4章「うえののそこ(底)を巡る冒険」。地下3階のギャラリーAを美術館の「そこ(底)」と見立て、新作のインスタレーションを制作しました。
中央には上野の過去や未来、人びとの多様な営みを飲み込んで吐さ出す「中空のかご」を設置。周囲には目玉のような丸い鏡が吊り下げられ、街の映像が投影されており、光と影が動きまわります。
《記憶のそこ》2023
かごは中に入ることも可能。中から見上げると、丸い鏡には自分の姿も映り、日常と非日常の境界を行き来するような、不思議な感覚に包まれます。
展示室の天井にも注目してください。かごの影が濃く映った展示空間は、いつもの東京都美術館とは違った顔を見せてくれます。
《新作のためのドローイング》2022 など
前川國男が設計した東京都美術館。煉瓦色のタイルに包まれた空間と、地下から入り、地下2階、3階と降りていく展示空間に、荒木ならではの世界観がピッタリはまっている展覧会です。幅広い表現活動を続けてきた荒木珠奈による、初めての大規模展。会期末まであとわずかですが、お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年8月1日 ]